2017年07月07日

7月のお知らせ

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榛名山


今月の聖書

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
        詩篇121:1〜2


T、助けはどこから来るのだろう?

 わたしはレベル4と言われ〇〇の全摘手術をしました。その後〇〇臓器も摘出。もういいと思っていたら「〇〇に腫瘍があります」と告げられ、大きな不安に襲われました。


藤井圭子さん
(1)息子の死
・さて、息子は医学部を卒業し、国家試験を終えると、母校の付属病院で内科研修医となった。私は嬉しくもあり、頼もしくも思った。
                         
・その3日後、私が午後の診療をしていると電話が鳴った。「ママ、落ち着いて聞いてね。今、警察から電話があって高速道路の非常駐車帯に研太の車が停まっていて、その近くから人が落ちたらしいの。」

・私は電話を聞きながら息子に何かが起こったのだと思った。家に帰ると「研太に間違いなく、即死だった」という知らせが届いていた。
            夕べ雲焼くる空を見れば p35〜55      

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(2)不安におそわれる!
・それから1か月、娘たちは一人残る私のことを案じながら、自分たちの家に帰って行った。息子が召されて初めて一人になった。私は娘たちを見送るとすぐ、久しぶりに2階の自室に入った。昼過ぎだった。

・その時突然「ああ、どうしよう!」という、まったく予期していなかった感覚、どこにも掴むもののない、宇宙の中にたった一人、放り出されたような感覚に襲われた。

・ほんの数秒だったかと思うが、それはまるで神なき世界、神から断絶された世界に、一人置かれたような数秒だった。

・しかし、その感覚はすぐに消失した。暗黒の孤独の世界に引き込もうとするサタンの力から、神さまが私をつかんで救い出してくださったとしか言いようがなかった。

・眠れない夜がつづいた。私は孫の出生祝いの時に用意したビール缶が残っているのを思い出し、二晩、寝る前に試みたことがある。

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・でも、確かにすぐ寝入ったが、2、3時間で目が覚めてそのまま朝まで眠れなかった。そのあと引き続いてワインを飲んでみたが、結果はビールと同じだった。

・しかし、どんな他の方法も、手段によっても、それは一時的、表面的なもので、私たちの肉体と魂のまことの休息、安らぎは神さまの御許に行き、神さまからいただく以外はないことを、私は改めて知った。             夕べ雲焼くる空を見れば p72~75
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讃美歌244番  

行けどもゆけども ただ砂原 
道なきところを ひとりたどる
ささやく如くに み声きこゆ
疲れしわが友 われに来たれ


やけたる砂原 いたむ裸足
渇きのきわみに 絶える生命
静かに優さしき み声きこゆ
生命の泉に 来たりて飲め


帰るに家なく 疲れ果てて
望みもなき身は 死をぞ願う
さやかに力の み声きこゆ
帰れや父なる 神のもとに

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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなた方を休ませてあげあげます。」  マタイに11:28

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長崎五島中通島 大曾教会



U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:00〜20:00

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7月の予定
 2日(日) 聖餐式 祈り会     
 8日(土) 家庭集会
 9日(日) 礼拝 
16日(日) 夏の音楽礼拝      
23日(日) 礼拝 学習会(日本キリシタン史)
30日(日) 礼拝 証し   

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 心はれる日  


V、今後の予定

1、夏の音楽礼拝
   2017年7月16日(日)  10:30〜12:00 
    ・フルート/テノール/音楽朗読劇  大津孝行
    「歌いつつ歩まん 〜 試練を賛美にかえて〜」
   ・聖書  詩篇119:54
     「あなたのおきては、私の旅の家では歌となりました。」 

  曲 目
   ・ヘンデル作曲「オンブラマイフ」
   ・バッハ作曲「オルガン曲/ト短調のフーガ」より
   ・ヴィヴァルディ作曲「四季」より「夏」
   ・音楽朗読劇「スーザン・ボイル物語」他

    礼拝後に「音楽のお中元」
    ガーシュイン作曲「サマータイム」


2、山の音楽会
   9月18日(月)  利根郡水上町OBH


3、献堂15周年記念礼拝
   2019年4月29日(月) 
   お話 宮嶋裕子(三浦綾子初代秘書)
  
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旭川六条教会で講演の宮嶋裕子氏       2016/6/29



みなさまのお来しをお待ちしております。
           

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2017年06月01日

6月のお知らせ

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放蕩息子の帰郷       レンブランド



父の日!(6月18日)

  お父さん、私はあなたの息子です!



今月の聖書

  ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。       ルカ15:22〜24



T、父の思い出


わたしが三か月入院して   
死ぬかといわれたのに
なおって国へ俥で帰りつく日
父は凱旋将軍のように俥のわきについて歩いていた    
くろい股引をけっきりひんまくって
あの父を思うとたまらなくなる
                 八木重吉

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 父が召されて20余年、もっと父と話をしておけばよかったと悔やまれます。


父は農家の3男で、20才の兵隊検査に合格すると中国戦線に送られ、各地を転戦し、やがてソ連軍の捕虜になり、シベリア収容所で終戦を迎えました。

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 小学校5年生の時近くに教会ができたので、日曜学校に行きました。ある日先生が「お父さん、お母さんのために伝道集会があります。」と言われ母と行きました。当時は空き地に米軍の払い下げテントを張り、裸電球の下での集会でした。終わりに決心者が募られると、母は「イエスさまを信じます」と手をあげたのです。その後、反対していた父もラジオのメッセージを聞くようになり信仰を持ちました。

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 父は時々戦場でのこと、シベリア収容所のことなど話すことがありました。非情な世界を生きた父は、主イエスさまに出会い心に平安を得たようです。

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 父の年になり、父の思いがわかります。今、私が息子のことを思うからです。

 父の愛はゆったり満ちてくる湧水のようです。
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聖書に放蕩息子の話が記されています。私を愛してくださる父の神さまに心打たれます。

神の愛!
 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。      ルカ15:22〜24

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 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅び
ることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ3:16


新聖歌449

1、父なるみ神に 今 帰らん
  この世を後ろに われ帰らん

  〈おりかえし〉
  帰らん帰らん われ帰らん 
  神よ愛の手 伸べたまえ

2、あだに日を過ごし 今 帰らん
  涙をもて悔ゆ  われ帰らん

3、汚れに飽きたり 今 帰らん
  み誓いたよりて われ帰らん

4、心は痛めり 今 帰らん
  力をたまえや われ帰らん

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U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:00〜20:00

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6月の予定
 4日(日) ペンテコステ礼拝 聖餐式 祈り会     
10日(土) 家庭集会1 
11日(日) 礼拝
16日(金) 家庭集会2      
18日(日) 父の日礼拝 誕生会 学習会(日本キリシタン史)
25日(日) 礼拝 証し   
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はなびらひろい  


V、今後の予定

1、夏の音楽礼拝
   2017年7月16日(日)  10:30〜12:00 
    ・フルート/テノール/音楽朗読劇
    「歌いつつ歩まん 〜 試練を賛美にかえて〜」
   ・聖書  詩篇119:54
     「あなたのおきては、私の旅の家では歌となりました。」

  曲 目
   ・ヘンデル作曲「オンブラマイフ」
   ・バッハ作曲「オルガン曲/ト短調のフーガ」より
   ・ヴィヴァルディ作曲「四季」より「夏」
   ・音楽朗読劇「スーザン・ボイル物語」他

    礼拝後に「音楽のお中元」
    ガーシュイン作曲「サマータイム」


2、山の音楽会
   9月18日(月)  利根郡水上町OBH


3、献堂15周年記念礼拝
   2019年4月29日(月)  
   お話 宮嶋裕子(三浦綾子初代秘書)
  


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなた方を休ませてあげあげます。」  マタイに11:28 


 みなさまのお来しをお待ちしております。
           

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2017年05月01日

5月のお知らせ

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母の日!  おかあさん、ありがとう!

インマヌエル聖歌111番 (讃美歌312)

1、母ぎみにまさる 友や世にある
  いのちの春にも 老いの秋にも
  優しくいたわり いとしみたもう
  母ぎみにまさる 友や世にある 

2、母ぎみにまさる 友や世にある
  笑まいもなみだも 共に分かちて
  夕べのいのりに こころをあわす
  母ぎみにまさる 友や世にある

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T、今月の聖書

  「女が自分の乳飲み子を忘れようか。 自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。               イザヤ49:15    

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 母が召されて20余年、わたしに信仰を教えてくれた母。母の日が巡ってくると母への思いがつのります。




おかあさん         サトウ ハチロウ


〈この世の中で一番〉

この世で一番
美しい名前 それはおかあさん
この世で一番
やさしい心 それはおかあさん

おかあさん おかあさん
悲しく愉しく また悲しく
なんども くりかえす
ああ おかあさん

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〈三年もむかし〉

三年もむかし
五年もむかし
十年もやっぱりむかしです
それよりももっともっと昔
かあさんが若くてボクが赤坊だった昔
ボクはそれが知りたいのです
かあさんが
どんな風にあやしていたか
ボクがどんな泣きじゃくりをして
おっぱいをさぐったか

むかしというものは どうしてこんなに
かなしくぼやけるものなのでしょう

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〈母を慕う〉

母を慕う
わがこころすなおなり

母にそむく
わが心いがむなり

このふたつ
いつも母の姿につながり
かみあいて この年までつづきね

あわれにておかし

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神の愛!
 母の日、亡き母を思います。聖書の神さまは「女が自分の乳飲み子を忘れようか。 自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(イザヤ49:15)と言われます。母の愛にまさる神の愛に打たれます。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅び
ることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネ3:16
     

U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:00〜20:00

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5月の予定
 7日(日) 礼拝 聖餐式 祈り会     
13日(土) 家庭集会1 
14日(日) 母の日音楽礼拝
21日(日) 礼拝 学習会(日本キリシタン史)    
28日(日) 礼拝 証し   
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山の春   2017・5・3


母の日音楽礼拝のお知らせ!

日 時 5月14日(日) 母の日 10:30〜11:30 
場 所 前橋上泉町教会
お話 「あなたのお母さんは最高のお母さん」 大津孝行
聖書  出エジプト20:12
曲 目 ドボルザーク作曲「母の教え給いし歌」(フルート)


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなた方を休ませてあげあげます。」  マタイに11:28 


 みなさまのお来しをお待ちしております。
                 

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2017年04月01日

4月のお知らせ

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墓を訪ねる3人のマリア    ブーグロー(1825〜1905)   



          ― 復  活 ―

 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。     ロマ4:25



今月の聖書
 
 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたようによみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。 マタイ28:1〜8




T、復活とわたし!

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復活!  グリューネバルト

 私は「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ロマ4:25)と信ずる者です。

 では、本当に復活のいのちに生きてきたかと自問しますと「はい」と答えられません。でも、人生の大半が過ぎた今「復活こそ私のいのち!」となりました。

 もし、復活がなかったら本当(永遠)のいのちはありません。いつわりのいのちに生きたとすれば、私の人生は空しいのです。

 「驚いてはいけません。あの方はよみがえられたのです」(マルコ16:6) 主イエスさまの復活の信仰に立つとき、喜びが、希望が、勝利の思いが湧いて来ます。復活こそ私のいのちです。(au)

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讃美歌 496番

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1
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
イエス君の墓より いでましし昔を

〈おりかえし〉
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花百合の花 ささやきぬ昔を

2
春に会う花百合 夢路よりめさめて
かぎりなき生命に 咲きいずる姿よ

3
冬枯れのさまより 百合白き花野に
いとし子をみ神は 覚まし給う今なお

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U、3月の報告
群馬のキリシタン史跡を訪ねました

 キリシタン史の学習の一環として「上野村史跡ツアー」に参加しました。昼食の時「私たちは昔でいえばキリシタン、クリスチャンです。食前には祈りますので、みなさんお付き合い下さい」と言って祈りました。するとみなさん「アーメン!」と言ってくれました。バスに戻るとご年配のご婦人が「子どものころ日曜学校に行っていました。今日は祈って食事ができ、本当によかったです」また、ある若夫婦は「キリシタンの雰囲気が味わえて良かった!」と言ってくれました。イエスさまを証しする大切さを学んだ一日でした。


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はっきりとわかる十字架! 信仰を告白する強い意志が伝わってきます


V、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:00〜20:00

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礼拝式次第  
礼拝5分前、静かに主を待ちましょう。


前   奏
招   詞       
開式 の 辞
頌   栄  544   あまつみたみも    
十   戒
讃 美 歌  138    ああ主はたがため
信 仰 告 白        使徒信条
主 の 祈 り
聖 書 朗 読       ヨハネ15:16〜30
祈   り
説   教       「イエスは霊の感動を感じ言われた」
讃  美 歌  142   さかえの主イエスの  
讃   栄  548   ささげまつる
献金の祈り  
頌   栄  545   ちちのみかみに   
祝   祷
アーメン三唱                       


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4月の予定 
 5日(日) レント礼拝 聖餐式 祈り会     
 8日(土) 家庭集会1(春を呼ぶフルートコンサート )
 9日(日) レント礼拝
16日(日) イースター礼拝 誕生会 
17日(月) 春の親睦・研修会(〜19日)
21日(金) 家庭集会2
23日(日) 礼拝 証し  
30日(日) 献堂13周年記念礼拝   
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水上 たくみの里


V、大津孝行氏による
春を呼ぶフルートコンサートのお知らせ


大津孝行氏(フルート) プロフィール
 カナダ・プレイリーバイブル大学(教会音楽/フルート)卒業。フルートオーケストラのメンバー。これまでにアメリカ、カナダ、ドイツ、シンガポール、北海道から九州、昨年は韓国で演奏。きもの鈴乃屋宝石展や、TBSドラマ「ホテルコンセルジュ」の舞台になったホテル日航東京はじめ、東京文化会館、さいたま芸術劇場、新宿文化センター、その他多数のホテルでも演奏。高齢者医療の信愛病院の音楽療法コンサートに協力し17年。

日 時  2017年4月8日(土) 16:00-18:00 
場 所 屋内隆行宅(伊勢崎市波志江)
曲 目 花と緑と復活のいのち
    @メンデルスゾーン作曲「春の歌」
    A沖縄歌謡「花」
    Bシャンソン「バラ色の人生」
    C東北震災応援歌「花は咲く」
    DSMAP「世界に一つだけの花」
    Eスメタナ作曲「モルダウ」
    F美空ひばり「川の流れのように」
    Gバッハ作曲「羊は安らかに草を食む」
    Hヘンデル作曲「メサイヤ」より

   ※ 詳しくは下記へおたずね下さい。 
    前橋上泉町教会  内田 彰(027-269-3939)
   (入場無料)

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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 
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 みなさまのお来しをお待ちしております。












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2017年03月01日

3月のお知らせ

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映画 沈黙


今月の聖書

 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。    ヘブル11:13〜16


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遠藤周作    1923〜1996


T.遠藤周作 ー 沈黙 ー 

  《 遠藤周作氏への問い! 》

― 絵踏みは隣人への愛ですか? ―

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遠藤周作氏の「沈黙」が上映されました。みなさまご覧になりましたか。

1.この作品に私の心を投影した!

・この本は、昭和41年3月30日、新潮社から純文学書き下ろし特別作品「沈黙」として発行されました。その時、遠藤周作氏はこの書を書いた動機を次のように述べています。

〈数年前、長崎で初めて踏絵をみたときから、私のこの小説は少しずつ形を取りはじめた。長い病気の間、私は摩滅した踏絵のキリストの顔と、その横にべったり残った黒い足指のあとを、幾度も心によみがえらせた。転び者ゆえに教会も語るを好まず、歴史から抹殺された人間を、それら沈黙の中から、再び生き返らせることが、そして自分自身の心をそこに投影することが、それがこの小説を書き出した動機である。〉 遠藤周作


2.あらすじ

・17世紀、ポルトガル人イエズス会宣教師のロドリゴ神父とガルベ神父は、師フレェイラが棄教したという伝えを聞き、キリシタン禁制の日本に来る。

・二人を村人達は必死に匿ったが捕らえられ、村人達は踏み絵を強いられ、拷問され、処刑される。その苦しむ信者達を見てロドリゴは「なぜ神は沈黙したままなのか?」と問い、絵踏みを勧め自分も踏む。


3.迫害と殉教!

1587年 豊臣秀吉が伴天連追放令を出す
1597年 長崎西坂で26人が殉教
1619年 京都大殉教
1622年 長崎大殉教
1623年 江戸大殉教
1633年 鎖国令
1638年 島原の乱
1854年 日米和親条約
1867年 浦上四番崩れ

この時代、およそ20万人〜30万人とも言われる人々が殉教しました。

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穴吊り(イエズス会殉教者 プラハ1675年刊)

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逆さ吊り

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1614年、アダム荒川(70才)の殉教

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1619年、京都の大殉教

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1630年、雲仙熱湯責め

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水責め、腹たたき 金鍔次兵衛神父の殉教
※片岡弥吉著 「日本キリシタン史」等より



問1 ー 絵踏みは隣人への愛ですか? ー

4.フレェイラが絵踏を勧め、ロドリゴ踏む!

(1)絵踏み〈転び〉こそ愛の行為!

・(フェレィラはロドリゴ司祭に言った)「基督は、人々のためにたしかに転んだだろう。」

・「そんなことはない。」司祭は手で顔を覆って指の間から引き絞るような声を出した。「そんなことはない。」
・「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても。」

・「これ以上わたしを苦しめないでくれ。去ってくれ。遠くに行ってくれ。」司祭は大声で泣いた。闇が鈍い音をたててはずれ、戸が開く。そして開いた戸から、白い朝の光が流れ込んだ。

・「さあ」フェレィラはやさしく司祭の肩に手をかけて言った。「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ。」

・「さあ」とフェレィラが言った。「勇気を出して」  ―中略―

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・司祭は足を上げた。足に鈍い重い痛みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中でもっとも美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢に満たされたものを踏む。

・こうして司祭が踏み絵に足をかけたとき、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。   (「沈黙」初版本 p222~225)


(2)フレェイラの棄教と変身!

・1633年(寛永10年)10月18日、長崎の西坂刑場でイエズス会のクリストファン・フェレイラ、ジュリアノ中浦、アントニオ・デ・ソーザ、日本人ペテロとマテオ両修道士、ドミニカ会のルカス・デ・スピリト、日本人フランシスコ修道士が穴吊りにされた。

・フェレイラは当時、イエズス会日本管区の代理管区長であった。イエズス会員たること37年、日本で活動すること23年の立派な働き手であったフェレイラ神父は、穴に入れられて5時間後に転んだ。他の人はみな長い拷問に耐えて、真の信仰の証人(殉教者)になった。ジュリアノ中浦神父は21日に殉教、最後まで生きていたのはドミニコ会のルカス神父でたぶん、9日目に息を引きとったと言われている。   (片岡弥吉著 日本キリシタン殉教史 p440)



問2 ー 愛は迫害するのですか? ー

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・フェレイラは沢野忠庵と名乗り、後に日本人妻をめとった。以後は他の棄教した聖職者、日本人転び伴天連荒木了伯、後藤了順とともにキリシタン取締りに当たり、1644年(正保元年)にはキリスト教を攻撃する『顕疑録』を出版した

・転びキリシタンは、おおむね禅宗か浄土宗の寺の檀徒となることが普通であった。フェレイラの転びはやはり、人間的弱さと、その弱さに耐える力を祈る心の乏しさにあったであろう。とにかくフェレイラの転びは、日本にもヨーロッパにも大きな波紋をよび起こすことになった。   (片岡弥吉著 日本キリシタン殉教史 p440~441)

・転びキリシタンの最大のものは井上筑後守であったろう。彼は自分が転んだ引け目を、信徒を苦しめることで埋めていたのだから。穴吊りや駿河問いなどの、人間としてこれ以上残酷さはないと思われる人間の苦しめ方は、井上筑後守の発案によるものである。(田中澄江著 群馬の隠れキリシタン p114) 

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駿河問い



問3 ー 絵踏は魂に平安を与えますか? ー


(1)勘三郎の場合(浦上四番崩れ)

・あんなに信仰の堅い伝道師が全部そろって降参してしまったのは、きっとテング(サタン)が着いたからに違いない。そのテングがいっしょについて、家の中に入ってくるなら、牢から帰っても家に入れるな、入れたらみんな転んでしまう、と申し合わせました。

・一方牢から出た者は心がとがめて、わが家に帰れません。勘三郎の手記には、そのところがこう書かれています。(1867年 浦上四番崩れ)
 
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絵踏み   村田佳代子画 
ーあなたをおいて誰のところに行きましょう!ー

それより浦上に帰り、わが家に行きましたれば、なにぶん家には入れず、天主を捨てたと思いましたから、一つの体おるところがありませんゆえに、昼も夜も山の中に、三日三晩泣いておりました。それより天主サンタ・マリヤさまの力を持って、天主に立ち返り、人々に改心戻しをすすめ回りました。ところがだいぶ仲間ができました。それより村の庄屋の玄関に頭を下 げて、もとのごとく改心戻しの願いを致しました。〉    (永井隆著 乙女峠 p22~23)


5.シドッチと長助、はる

(1)江戸キリシタン屋敷の発掘

・2016年4月5日の新聞にこんな記事が載りました。

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屋久島に上陸したシドッチ(左)

 東京都文京区は四日、江戸幕府がキリスト教宣教師らを収容した同区小日向の「切支丹屋敷跡」の発掘調査で出土した人骨が、幕府の命を受けた儒学者・新井白石に尋問されたことで知られるイタリア人宣教師ジョバンニ・シドッチ(1668~1714)の可能性が高いと発表した。
 シドッチは1708年、禁教下の日本に上陸して捕らえられ、江戸の切支丹屋敷に収容され、地下牢で死亡した。白石がシドッチを尋問して得た情報を基に後に著した「西洋紀聞」と「采覧異言」は、鎖国時代にいち早く、海外事情をまとめた文献として知られる。            朝日新聞(2016/4/5)
 
(2)禁教下長助、はる信仰を告白する!

・昔、私ども二人の主人でございましたジュアン様がまだご存命のおり、私どもにその教えについて話してくれましたが、そういうことが罪になるとは知りませんでした。

・でも、このほどシドッチ様が身の危険を顧みず、万里の海を渡っていらっしゃり、その捕らわれているお姿を見て、私どもははかない命を惜しんで、長く地獄に堕ちてしまうのが情けないと思うようになりました。   

・そこで、シドッチ様に教えを聞き、洗礼を授けていただいて、信徒となったのでございます。これらのことを申し上げなくては、お上から衣食をいただいている以上罪になりますので、はっきり申し上げるのです。この上はどのようなお裁きもお受けいたします。(谷 真介著 江戸キリシタン屋敷 p194)


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6.殉教!

(1)長助、はるの死!

・シドッチは長助、はるが土牢に引き立てられていくのを見て、「其真情破れ露はれて、大声をあげて彼ら夫婦のものの名を呼びて、其信を固くして、死に至て志を変ずまじき由をすすむる事日夜に絶えず・・・」と、記されています。「信仰を捨ててはいけない!踏み絵を踏むな!」の叫びが聞こえてきます。 

・しかし、その年老いた長助・はる夫婦も7ヶ月ほどたったその年(1714)の10月7日、まず長助が病死(餓死?)するとその後を追うようにはるも病死していきました。二人が病死(餓死?)したのは同じ日だったと言われます。

・長助、はるは気の毒だったと考えもあろう。しかし、シドッチにとって長助、はるは奴婢ではなく、自分と同じ人間である。生涯奴婢として終わるよりは自分と共に殉教し、天国の栄光を受けた方がよいと合理主義的神秘家シドッチは判断したに違いない。        (垣花秀武著「奇会新井白石とシドッチ」 p370~371 講談社) 


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当時の江戸キリシタン屋敷(現在の東京都文京区小日向1-24-8)  
谷 真介著 「江戸キリシタン屋敷」 p75 女子パウロ会



(2)シドッチの死!

・ところで白石はシドッチが病気になって死んだとだけ書きとどめているが、なぜ病気になったかが問題であろう。どのような獄につながれていたかを白石は知っていたに違いない。彼は後世の読者の目を恥じて書かずにおいたと考えてよかろう。

・白石は書き残さなかったが、オランダ人の誰彼や太宰春台が書き残している。噂をかき残したような部分もあり、不正確な点もあろうが、要約すれば・・・

〈身体がやっと動けるような獄(多分穴に近いもの)に閉じ込められ、最小限の食べ物(多分少量の粥)を与えられていた。〉

・その獄の中でシドッチは1年8ヶ月近く生き、そして死んだ。その死骸は寺に葬られず、切支丹屋敷の裏門の側に埋められた。それか彼がキリスト信仰を棄てなかった証拠である。             (垣花秀武著「奇会新井白石とシドッチ」 p368~367  講談社) 



7.殉教者を支えたもの!


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氷の川の殉教(みちのくキリシタン)  村田佳代子画


(1)真冬、責めを受けた勘三郎、仙右衛門!

・その時天を眺め、手を合わせ、サンタ・マリアにお取り次ぎを頼み、ゼススのお供を願い、仙右衛門さんは、天にましますのお祈りを申し上げまする。

・その時役人が申しまするには「仙右衛門、勘三郎、天主が目にかかるか、さあ、どうか」と嘲りました。その時面に水を投げつけ、息のできぬようにいたしまする。

・それよりだんだん体は冷え凍り、ふるえが来まして、歯はがちがちになり、そこに仙右衛門殿申されるには、「勘三郎、覚悟はいかが」私は「目が見えぬ。世界がくるくる回る。どうか私に気をつけ下され。」

・もはや息が切れんとする時、役人が申すことに、「早く上げろ」と言いつけたり、三間ばかりの竹の先にかぎを付け、かぎの先に髪毛を巻きつけ、力まかせに引き寄せたり、それを水の中より引き上げ、気つけを飲ませ、正気づけたり、その時の苦しさは何とも申されませぬ。

・その後、三尺牢に入れられ、体の震えること、その晩にてもやまず、ただ、テング(サタン)の勧めを受け、迷いの心が出ないようにサンタ・マリアさまに頼み、御主のお供を願いたてまつりました。                永井隆著 乙女峠 p44~45
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 岸上英幹著 乙女峠  殉教の地を訪ねて p50  サンパウロ


(2)高木仙右衛門談!

・どんな強い人間でも、あんな目にあわされたら、人間の力だけではとてもしのぐことはできません。わたくしが転んだならば御主、聖フランシスコ・ザベリオ様、また日本のたくさんの殉教者様方に対して申し訳ございません。そう思って断食の犠牲をささげ、聖霊様のお助けを祈っておりました。聖霊様のお力でしのげたのでございましょう。 (永井隆著 乙女峠p23~24)

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高木仙右衛門(浦上四番崩れ)


 みなさまは誰にこころひかれますか。フレェイラ、ロドリゴ(沈黙の世界)ですか? それともシドッチ、長助、はるですか?



新聖歌 396番

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1、
慕いまつる主の み招きあるいま
十字架にない行かん 愛する主の後を 

〈おりかえし〉
いずくまでも行かん いずくまでも行かん
いずくまでも行かん 愛する主の後を

2、
血潮混じる汗 流し祈る主の
ゲッセマネにも行かん 愛する主の後を 

3、
打たれ罵られ はずかしめ受くる 
人前にも行かん 愛する主の後を

4、
君のみ恵みに 浸りしわが身は
栄え望み行かん 愛する主の後を
           アーメン

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一粒の麦(絵踏み)村田佳代子画 


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宣教師シドッチの顔を国立科学博物館が復元

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国立科学博物館(台東区)は8日、キリスト教が厳しく禁止されていた江戸時代に、外国人宣教師らが収容された文京区の「切支丹屋敷」跡地から出土したイタリア人宣教師、シドッチの頭骨を基に復元した顔の像を報道陣に公開した。

 頭骨の欠落部分はコンピューター断層撮影装置(CT)や3Dプリンターで補って立体模型を制作し、筋肉や皮膚は樹脂などで再現した。髪や瞳の色の黒さは当時の幕府の実力者で、儒学者でもあった新井白石がシドッチを尋問して著述した「西洋紀聞」などの文献も参考にした。

 彫りが深く、柔和な表情に仕上がっており、同館の篠田謙一人類研究部長は「歴史上の人物の顔を現代の科学の力で特定できた」と話した。

 文京区などによると、シドッチは1708年に屋久島に上陸して幕府に捕らえられ、「最後のバテレン」と称される。博識だったため、切支丹屋敷に身柄を移された後、新井白石が直接尋問したことで知られる。14年に数え年の47歳で死亡し、屋敷内に埋葬されたという。跡地では平成26年に3人分の遺骨が出土。同館はさまざまな状況証拠に基づき、うち1体の遺骨をシドッチのものと確定しその頭骨から顔を復元した。



U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:00〜20:00

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礼拝式次第  
礼拝5分前、静かに主を待ちましょう。


前   奏
招   詞       
開式 の 辞
頌   栄  544   あまつみたみも    
十   戒
讃 美 歌  370    めさめよわがたま
信 仰 告 白        使徒信条
主 の 祈 り
聖 書 朗 読       ヨハネ15:13〜15
祈   り
説   教       「私はあなた方を友と呼びました」
讃  美 歌  312   いつくしみふかき  
讃   栄  548   ささげまつる
献金の祈り  
頌   栄  545   ちちのみかみに   
祝   祷
アーメン三唱                       


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3月の予定 
 5日(日) 礼拝 聖餐式 祈り会     
11日(土) 家庭集会1
12日(日) 礼拝 誕生会  
18日(土) 親睦・研修旅行
19日(日) 礼拝 学習会(日本キリシタン史) 
26日(日) 証し   
みなさま、キリシタン史を学んでみませんか。学習会にぜひどうぞ!




大津孝行氏による
春を呼ぶフルートコンサートのお知らせ


日 時  2017年4月8日(土) 16:00-18:00 
場 所 屋内隆行宅(伊勢崎市波志江3359−8)
曲 目 花と緑と復活のいのち
    @メンデルスゾーン作曲「春の歌」
    A沖縄歌謡「花」
    Bシャンソン「バラ色の人生」
    C東北震災応援歌「花は咲く」
    DSMAP「世界に一つだけの花」
    Eスメタナ作曲「モルダウ」
    F美空ひばり「川の流れのように」
    Gバッハ作曲「羊は安らかに草を食む」
    Hヘンデル作曲「メサイヤ」より

 
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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

          

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ご意見、ご感想お聞かせください。みなさまのお来しをお待ちしております。



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2017年02月01日

2月のお知らせ

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朝 足あと                     2017/1/6


足あと   マーガレット・F・パワーズ
 
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主と共に、なぎさを歩いていた。
   
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が残されていた。
一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。
これまでの人生の最後の光景が映し出された時、
わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。
そこには一つの足跡しかなかった。
   
わたしが人生で一番つらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
私はその悩みについて主にお尋ねした。
   
『主よ。わたしがあなたに従うと決心した時、
あなたは、全ての道で、わたしと共に歩み、
わたしと語り合って下さると約束されました。
   
それなのに、わたしの人生の一番つらい時、
一人分の足跡しかなかったのは何故ですか。
一番あなたを必要としていた時に、
あなたが、何故、わたしを捨てられたのか、
わたしには分かりません。』
   
主はささやかれた。
『わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に、
足跡が一つだったのは、
わたしがあなたを背負っていたからだ。』

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今月の聖書
 
 神は、どのような苦しみのときにも、わたしたちを慰めてくださいます。こうして、わたしたちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、わたしたちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。              2コリント1:4〜5



T山のくらし

・谷川岳の外輪山大峰の山に20年。人里から隠れ祈りの日々でした。

・春は花、夏はみどり、秋は紅葉。でも、冬は厳しく戸袋で小鳥が凍え死んでいることもありました。

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大峰BHの冬 

・人も獣も、草も木も生きる厳しさは同じ、いな、私たちより厳しいかもしれません。

・でも「神は、どのような苦しみのときにも、わたしたちを慰めてくださいます。こうして、わたしたちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、わたしたちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。」(2コリント1:4〜5)

・明けない夜はなく、来ない春はありません。感謝!

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大峰BHの春    2016/4/19 

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讃美歌 291番

1
主にまかせよ、汝(な)が身を、
主はよろこび たすけまさん。
しのびて 春を待て、
雪はとけて 花は咲かん。
あらしにも やみにも
ただまかせよ、汝が身を。

2
主にまかせよ、汝(な)が身を、
主はよろこび たすけまさん。
なやみは つよくとも
みめぐみには 勝つを得じ。
まことなる 主の手に
ただまかせよ、汝が身を。


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山の春(大峰BH)


U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:00〜20:00

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礼拝式次第  
礼拝5分前、静かに主を待ちましょう。


前   奏
招   詞       
開式 の 辞
頌   栄  544   あまつみたみも    
十   戒
讃 美 歌  370    めさめよわがたま
信 仰 告 白        使徒信条
主 の 祈 り
聖 書 朗 読       ヨハネ15:13〜15
祈   り
説   教       「私はあなた方を友と呼びました」
讃  美 歌  312   いつくしみふかき  
讃   栄  548   ささげまつる
献金の祈り  
頌   栄  545   ちちのみかみに   
祝   祷
アーメン三唱                       


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2月の予定 
 5日(日) 礼拝 聖餐式 祈り会     
11日(土) 家庭集会1
12日(日) 礼拝 大津孝行バレンタインコンサート 
19日(日) 礼拝  
26日(日) 証し 誕生会 学習会(日本キリシタン史)  

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春さん、はやくきて!


大津孝行バレンタインコンサートのお知らせ 

大津孝行氏(フルート) プロフィール

  カナダ・プレイリーバイブル大学(教会音楽/フルート)卒業。フルートオーケストラのメンバー。これまでにアメリカ、カナダ、ドイツ、シンガポール、北海道から九州、昨年は韓国で演奏。きもの鈴乃屋宝石展や、TBSドラマ「ホテルコンセルジュ」の舞台になったホテル日航東京はじめ、東京文化会館、さいたま芸術劇場、新宿文化センター、その他多数のホテルでも演奏。高齢者医療の信愛病院の音楽療法コンサートに協力し17年。
 
日時・曲目

日 時 2017年2月12日(日) 13:30-15:00 
場 所 前橋上泉町教会(前橋市上泉町818)

     〜愛の調べ〜他

    ・エルガー作曲「愛の挨拶」
   ・マルティーニ作曲「愛の喜び」
   ・シャンソン「愛の讃歌」
    ・群馬民謡「八木節」
   ・嵐「ワンラブ」  
   ・オペラ「椿姫」ファンタジー(前半)
   ・山口百恵「いい日旅立ち」      
   ・映画「タイタニック」のテーマ  
   ・オペラ「椿姫」ファンタジー(後半)
   ・讃美歌「主よみもとに近づかん」


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みなさま、ぜひお出かけ下さい。   


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

みなさまのお来しを、お待ちしております。
           

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2017年01月01日

1月のお知らせ

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。  


讃美歌 320番

1、
主よ、みもとに 近づかん、
のぼるみちは 十字架に
ありともなど 悲しむべき
主よ、みもとに 近づかん

2、
さすらうまに 日は暮れ、
石のうえの かりねの
夢にもなお 天(あめ)を望み
主よ、みもとに 近づかん

3、
主のつかいは み空に
かよう梯(はし)の うえより
招きぬれば、いざ登りて
主よ、みもとに 近づかん

4、
目覚めてのち まくらの
石を立てて めぐみを
いよよせつに 称えつつぞ
主よ、みもとに 近づかん

5、
うつし世をば はなれて
天(あま)がける日 きたらば
いよよちかく みもとにゆき、
主のみかおを あおぎみん
アーメン

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今月の聖書
 
 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」             ヨハネ4:3~13



T、ふとしたことで石川正一君を知りました (6)

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在りし日の石川正一君

 昭和30年11月13日=東京生まれ。幼稚園のころ、筋ジストロフィーの宣言を受け、10才の夏に歩行不可能となる。14才の初夏、父親から「20才までしか生きられない」事実を知らされ、残された青春の日々に、みずから完全燃焼をさせて生き抜こうと決意する。その後、身体の衰えに比し、精神の成長いちじるしく、奇跡的にも、20才の壁を超すが、昭和54年6月=23才7か月で、ついに神に召された。(「めぐりあうべきたれかのために」より)
 
 
1、20才の壁を破る

・筋スジの壁と言われる20才といわれる年齢は、それは平均値ではなくて、あくまでも余命年数の極限を示している。昨今、この壁の年限が若干延長してきたとはいうものの、やはり今でも、東筋協会員の筋スジの子どもたちの亡くなる年齢は、17~18才の例が多い。

・正一と同じ年頃の昔の仲間たちの顔は、次々と消えていった。20才の壁を越えて、残るいのちはあと何年ほどなのか、そして残された生を生きる意味とは何なのか、また、残るその命をどう生きるかべきなのか、正一にとっては筋スジの20才の壁は、体とともに精神生活の節目でもあり、それは新たな時への旅立ちだった。      

      バカもの! それでいいのか
     早く死のうと 長く生きようと
     20才をこえようと こえまいと
     人間は有限な存在にかわりはないのだ
     生きている限りは
     何かをしないではいられない
     お前な伸びようとする芽なのだ
(めぐり会うべき誰かのために p176~177)




2、祈りに専念!

・「お母さん、この頃は何だか時間のたつのが早いね。昼間、何か一つやりかけると、アッという間にもう夕方だものね。これは考えてみると祈りの時間に問題があるね。何よりお祈りがこんなに忙しくっちゃ、他の仕事が何もできいやしないよ。」

・「それはそうよ。正ちゃんはお父さんが持ってくる人の祈りを、みんな引き受けちゃうんですもの」

・そして、ふと正一の祈りの生活が、彼の人柄を魅力的なものにしていくのを感じるほど、それだけ、彼への天国への出発が近づくのではないか、という思いが胸の内をかすめるのです。しかもそれは、日を経るにつれて、私と主人の胸の内に次第に大きく広がっていくのです。(めぐり会うべき誰かのために p194~195)

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3、21才!

・1977年(21才)、5月頃から、再び排尿障害、動悸、胸内苦悶が出現。夜間呼吸困難が伴い、呼吸数が30に上昇。排痰困難、チアノーゼ、頭重感が断続、脈拍120になり、6月6日入院。ついにジキタリス療法にはいる。 (良い地に落ちた種 p34)
      

(1)正一君ノート

・6月に入院して以来、ジキタリスなどの薬なしではいられなくなりました。1日に何回か、胸を押されるような苦しさや、頭がクラクラして呼吸も困難になりますが、そのような時には話もできません。体もやせてきたようです。来るべき時が来たのだと受け止めています。

・テーブルに寄りかかって食事をすると、早鐘のように動悸がして、食器がガタガタと音をたててしまい、苦しくて食事どころではない時があります。疲れようによっては、食事の介護が必要になってきます。痰のため、呼吸困難になってしまうことも度々です。体中が絶えずだるく、体をもんでもらわないといられない程です。(めぐり会うべき誰かのために p206)


(2)母の手記

・そして、肩も、胸も、腿も、手首までやせてくるのが目立つようになりました。そのためか、これまでは10回にとどまっていた寝返りが、さらに15回にまで増えてきました。

・だるさ、痒み、排痰、寝返りの問題に、常時悩まされるようになったその苦しみは、本人でなければわからぬ辛さがあるにちがいありませんが、正一は苦しいとか、辛いとかの訴えを、口にすることのない不思議な子です。ただ、背中や腰を掻くこと、マッサージすること、寝返りの介助をすることを求めるだけです。 (めぐり会うべき誰かのために p208)

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(3)母への思い


    母の顔のしわは
    ぼくの生活のきざみ
    ぼくの生活の彫刻だ
    昼間の介助 夜の寝返り
    いく度となく起こさなねばならない    
    顔のしわの少ない日はほっとする
    しわがふえれば心が痛む
    母は「気にしないで」という
    これが生きがいなのだと

                 (良い地に落ちた種 p55)


4、22才

(1)誕生祝会

・昭和52年11月23日、正一の22才の誕生日だった。障害者青年学級の仲間たち、教会の人たち、訪問教師の先生方、それに加えて正一のおじいちゃん、おばあちゃんをはじめとして、おじ、おば、いとこたちまでが駆けつけてくれ、賑やかに祝ってくれた。

・乾杯が終わると、司会者から挨拶を指名された東神田のおじいちゃんは、「正一、おめでとう。みなさんどうも、すいませんねえ・・・」といって、胸がいっぱいになって、絶句して立ち往生してしまった。娘の恵美子に、「だめよ、おじいちゃん、あがっちゃあ」と言われてもどうにもならず、涙を押さえきれず顔をクシャクシャにしたまま、とうとう後の言葉が続かなかった。             (めぐり会うべき誰かのために p214)


(2)胸内苦悶におそわれる。

・かねてから、一度家からあまり遠くないところで、正式なワンコースのメニューで洋食を食べに行こうと話し合っていましたので、ある日、八王子のレストランに食事をしに出かけた時のことでした。食事中に、突然、正一は胸内苦悶におそわれ、顔面蒼白となり、このまま死ぬのではないかと苦しみ出しました。

・あわてて帰宅し、主人が正一を車に乗せたまま、背後から羽交い締めにして、彼の呼吸に合わせて、一気に胸部を圧迫しますと、驚くほどの大量の痰が排出されました。正一本人は、意外と冷静で落ち着いていましたが、ただ少し淋しそうに、「これで、来春の北海道旅行の計画も、どうやらだめになったようだね・・・」と言うのでした。 (めぐり会うべき誰かのために p247)


     死の準備は少し淋しい
     それは親しい人たちとの
     別れがあるから
     だがクリスチャンは
     国籍が天国にあること
     だから失望に落ち込むことはない

     心残りがないように
     どんなことでも書いておこう
      出せるだけ手紙の書いておこう   
    
              ( めぐり会うべき誰かのために p209)

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5、23才!

・こうした中にも、正一の排痰の苦しみは、日を追って激しさを増すようになり、予定していた23才の誕生会は、最悪の体調となり、残念ながら取りやめになった。ついに,11月4日、救急車で府中神経内科に入院することになった。            (めぐり会うべき誰かのために p252)
                           
・気管切開をした退院後の管理は、今までにまして、感染予防などの細心の注意が必要となった。切開口は、ちょうど喉仏の真下にあり、そこからカニューレ(水道の蛇口を縮小した形の硬質ビニールパイプ)が挿入され、その先が2~3センチほど切開口から出ている。

・だが喉がそれまでよりも刺激されるので、排痰を訴える回数が多くなり、吸引機による吸引は、昼夜の別なく20~30分おきに要求され、その他に、夜間の寝返り介助は、18回前後もしなければならず、母親の睡眠時間は極度に切りつめられた。

・退院後正一は小康を得て、やや元気を取りもどしたが、吸引や寝返りの回数が、徐々に増えるようになると、頑健を誇っていた家内も、腰痛、目まい、自律神経症を自覚するようになり、母子共倒れの危機が予測されるようになった。

・私たち夫婦は、夜中の介助を交代交代で分担するようにし、雄二については、たとえアルバイトがあるにせよ病院勤務があるので、夜11時以降は休ませることにした。やがて、昭和53年は、正一の病状の厳しい落ち込みとともに暮れた。   


      寝不足の母の顔を見るのはつらい
     だんだん病気が進行するにつれて
     夜の寝返りが頻繁になってくる
     ああ早く天国に行かなければ
     わたしは母に申し訳ない
     それでも母は少しも変わりなく明るい
     父は母に
     それを生き甲斐にしなさいと言う
     母も父に言われたその言葉が嬉しく
     大きく胸にひびいたという
     わが家では苦しみが
     生き甲斐になることを知っている
     わたしも自分の病気を
     のろったり悔やんだりはしない
     それにしても
     母はほんとうにえらいと思う

            (めぐり会うべき誰かのために p252~256)


・ある時、正一の目から頬を伝わって、一筋の涙が流れ出た。

・「おかあさん、信仰を持っていても、やっぱり肉のトゲは痛いよ。痛みは痛みに違いないものね。でも、信仰とは、どんなに苦しくても、最後まで神さまに従うことを貫き通すことなんだね。やっぱりぼくは、どんなに辛くても、信仰を捨てる気にはならないよ」と母親に涙を拭いてくれるように頼んだ。 ( めぐり会うべき誰かのために p268)

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6、最後まで、苦しみぬこう!

(1)父の手記

・そして、父親のわたしに「今、ぼくは考えているんだよ。・・・燃やし尽くして生きてきたので、死ぬことに不安はないけれども、悔いなく生きたものには、神さまは、安らかな最後の時間を与えてくださると思っていたのに、このままでは、この苦しみは終わりまで続きそうだね。もしそうだとすれば、死の間際まで苦しみと闘いながら生きる意味って、何だろうってね・・・」と告げるのであった。

・「しかし、ぼくにはやっぱり分かっているんだ。その意味は、最後まで苦しみと闘い続け、生きる努力をし続ける姿を、自分に関わる多くの人たちに、いつまでも覚えていてもらいたい、心の中に生き続けるためなんだってね・・・」と、自己回答を出し、正一はこれを「死に行く者が社会に対して、責任を果たす最後の義務であり、残る者に贈る最後の心の遺産」と稱し、最後まで完全燃焼に手抜きは許されない」と静かに微笑んだ。

・わたしはこの正一のことばを聞いたときほど、心に激しい衝撃を受けたことはなかった。私は、人間として、そしてキリスト者として、もうこうなっては、少なくとも正一の前では、せめて子離れのできない、愚かしくもぶざまな父の姿だけは見せまいと、自分に言い聞かせた。(めぐり会うべき誰かのために p269)

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7、昭和54年6月10日

(1)母の手記

・渡辺先生の連絡で、保健所は直ちに救急車を手配してくださいました。あらかじめ患者の様態を聞かされていた救急隊員は、慎重な面持ちで、救急車のストレッチャーを庭から正一の部屋に運び入れ、ベッドから正一の体を移します。

・その時、私の胸の中に突然、熱いものがこみあげてきました。正一と共に生き、過ごした時の流れが凝縮されて、焼き付いて離れない思い出の場面の数々が、まぶたをよぎります。

・「さようなら、わが家・・・」こう胸の内につぶやいた私は、もう2度と帰ることのないわが家に、今、別れを告げようとする正一の気持ちを察しながら、「もう、この部屋と、この庭ともお別れね・・・」と正一の耳元に囁きましたが、呼吸困難に苦しむ正一の顔の表情には、別れの感慨にふけると言った、顔色の動きは見られませんでした。 ( めぐり会うべき誰かのために p275)

・正一のかわりに、私が主治医から話を聞いて部屋に戻ると、正一はレスピレーターをつけられ、声のでない息の下で、かすれるようなかすかな声で、「どうだった? あとどれくらいのいのち? それを知りたかっただけなのに・・・もう、どうでもいいこと・・・」と言って、正一は涙をためていました。

・それは、最後まで直接、正一の心と対面しようとせず、心を開かなかった主治医の姿勢を悲しむ涙なのでした。

・そして、しばらくして私が「そう、それじあ、今の心境から、正ちゃんは死についてどう考えているの・・・?」「うん、それは大丈夫。不思議なほどオ・ダ・ヤ・カ、不安はないね。ぼくの心が信仰とピッタリなじんでいる感じ」

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・その晩、正一はこんな詩を私に口辻させました。


   草原にそよぐ青草のように
   わたしの心はさわやかだ
   なにもさえぎるものがない
   これこそが信仰のきわみだ
   地上の終着駅が見える
   篭の扉が開き
   鳩が羽ばたくように
   自由になれる
   これこそが
   臨終を迎える姿なのだ

             (めぐり会うべき誰かのために p278)

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8、召天!

(1)6月18日

・1979年6月18日、午前3時、正一の様子が一変し、いよいよ来たるべきものが来たものを思い、私は電話口までかけつけ、震える指で、自宅の主人のもとにダイヤルを回しました。

・病室にかけつけた私を出迎えたのは、妻の引きつった顔だった。私は正一の手を握りしめ、彼の体を揺さぶるようにして、「正ちゃん、お父さんだよ!」と呼びかけた。

・すると彼は目を開け、私の顔を見つめながらかすかにうなずくようすを示した。静かで、優しく、穏やかな顔だった。

・薄暗い病室の緊迫した空気の中を、正一の呼吸に合わせて正確に刻むレスピレーターの音だけが、重苦しい時間を横切った。正一の心臓の鼓動を伝えて揺れる心電計の波形の動きが、正一に最後の命の戦いを記録する。2時間・・・3時間・・・規則的に揺れていた波形が、スーッと一直線に流れた。           

・時に、昭和54年6月18日、午前7時00分。わが子石川正一は23才7ヶ月の生涯を閉じた。

・ああ、いつかは来るものとは知りながら、恐れていたことが、ついに現実になってしまった。その瞬間、私の心はあまりの衝撃に、画面の消えたスクリーンのように空白となり、悲しむことも忘れたかのように、しばし自失の時が流れた。

・しばらくして、正一と共に生きてきた数々の思い出が、涙とともにまぶたの奥によみがえり、悲歎の激情が本流のように、私の胸の中を荒れ狂った。

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(2)讃美歌320番を讃美する

・正一の昇天を見送った私と妻の恵美子は、彼の枕元をはさんで、生前に約束をしていた、讃美歌320番「主よみもとにちかづかん」を歌つた。

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・ついに子離れできなかったこの父を、地上に残したまま正一は、とうとう逝ってしまった。時満ちて天に召された正一の遺体におおいかぶさるようにして、私はただ抱きしめ、涙するばかりであった。30年にわたって、培ってきたはずの私の信仰は、あまりにも弱く脆かった。(めぐり逢うべき誰かのために p279~280)


9、生きつくした身体!

・午前9時「ぼくの身体を医学のために役立ててください」と、かねてから言っていた、正一の意志にしたがい、副委員長宇尾野先生を中心とした府中神経内科のスタッフにより、病理解剖が行われた。

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・「正一君の遺言通り、徹底的に拝見させていただきました。ありがとうございました」と丁重なご挨拶。

・引き続き先生は「筋肉の繊維はまったく萎縮して脂肪に置きかわり、心筋は肥大して、白色状を呈し、肋骨膜の厚さは1ミリほどにも薄く萎縮し、膜を隔てて指をかざすと、透けて見えるほどでした。最後まで呼吸困難に苦しみ抜いたにもかかわらず、肺の中には分泌物の汚れはなく、清浄を保たれていました。」と解剖所見を述べられた。

・「このことは、筋スジ患者として、余命を完全に全うしたという理想的な臨床終末像です」

・「正一君が生前よく口にしていた完全燃焼の生を、見事に証明した解剖結果でした。それと同時にこのことは、正一君のガンバリを支援した、完璧な在宅ケアの勝利であったと思います。」と話し、立ち去って行かれました。

・宇尾野先生の解剖所見を聞かされた私たちは、今さらながら、正一が選んだ完全燃焼の生き方の凄まじさに、息をのみ、しばし声もなかった。そしてしばらくは、それぞれの考えにふけったのでした。
めぐり逢うべき誰かのために p282~284)
  


10、生きる意味、それは何だろう?


     たとえ短いいのちでも
     生きる意味があるとすれば、
     それは何によるのだろう

      もしも人間の生きる価値が
      社会に役立つことで決まるなら
      ぼくたちには
     生きる価値も権利もない
      しかしどんな人間にも差別なく
      生きる資格があるのなら
      それは何によるのだろう

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11、神の台本に生きる!


      わたしの体の自由が失われても
     神さまの台本にしたがい
     地上という名の舞台で
     雄々しく生きてゆく
     それを演じるのがわたしの役目

                    (完)
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U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:00〜20:00

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礼拝式次第  
礼拝5分前、静かに主を待ちましょう。


前   奏
招   詞       
開式 の 辞
頌   栄  544   あまつみたみも    
十   戒
讃 美 歌  370    めさめよわがたま
信 仰 告 白        使徒信条
主 の 祈 り
聖 書 朗 読       ヨハネ15:13〜15
祈   り
説   教       「私はあなた方を友と呼びました」
讃  美 歌  312   いつくしみふかき  
讃   栄  548   ささげまつる
献金の祈り  
頌   栄  545   ちちのみかみに   
祝   祷
アーメン三唱                       


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1月の予定 
 1日(日) 元旦礼拝 聖餐式 祈り会     
 7日(土) 家庭集会1
 8日(日) 礼拝 
15日(日) 礼拝  
22日(日) 誕生会  
29日(日) 証し 学習会(日本キリシタン史)  

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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

みなさまのお来しを、お待ちしております。


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2016年12月01日

12月のお知らせ

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幼児イエスを礼拝する聖母 (1620年)    ヘラルト・ファン・ホントホルスト



クリスマスおめでとう! 

今月の聖書
 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ルカ2章10〜14節



クリスマスおめでとうございます。暗い世に救いの光が輝き、本当にうれしいです。みな様の心にも真のクリスマスがありますように!

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イエスの誕生

 みなさんは五味川純平の小説「人間の条件」をお読みになりましたか。映画にもなりましたのでご覧になられた方も多いと思います。この小説の主人公,梶のモデルは隅谷三喜男氏(東京女子大学学長)です。その隅谷三喜男氏がクリスマスについてこういっています。

 日本のようにキリスト教とあまり縁のない国でも、近年はクリスマスといえば、年中行事の一つになったように思われます。12月ともなれば、デパートなどはクリスマス・セールでにぎやかなデコレーションをし、大きなクリスマスツリーをたてたりしますし、一般の人々もクリスマス・イブなどといって、パーティを開いたりします。キリスト教徒でない人たちも、クリスマスは何か知っています。いうまでもなくイエス・キリストの誕生を祝う日です。

 汎神論的な日本の社会では、人が神になることは信じられています。神が人の姿をとるということもあるでしょう。しかし、神が真の人間になることはありません。ギリシャなどの世界でもそうでした。人は神に近づこうと努力しましたが、神が人間という不完全なものになることは考えられませんでした。

 ところが、聖書は全能の神がイエスにおいて人となった、と語りかけるのです。それはイエスが病人をいやしたとか、水の上を歩いたとかいう、聖書にしるされている奇跡などとは比べものにならない、奇跡中の奇跡です。それは人間の思いをこえたことであり、不可能なことです。この不可能を可能にする神、それが全能の神の告白だったのです。聖書の神は悲惨と罪の中に下降してくださる神であり、それがキリストです。

 しかもこの神の、人間の歴史への突入は歴史的な出来事として、人間マリアからの出生として生起したのです。神が人間の姿をとって現れたというのではないのです。正真正銘の人間として、人間マリアの子として生まれた、と告白しているのです。人間として生を受けることによって、わたしたち人間と連帯し、人間としての悲惨を味わい、人間としての苦楽を共にされ、人間として十字架に死ぬことになったのです。こうして人間としてこの世に生を受けたイエスこそが、神の子キリストであったのです。
      私のキリスト教入門 ―使徒信条による― p52〜54

 主イエスの誕生によって人の歴史は闇のB.C(before Christ=キリスト以前)の時代から、真の光の輝くA.D(anno Domini=救い)の時代に変わりました。真の光が輝いたこの日、みなさまのたましいにも真のクリスマスがありますように!

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讃美歌 118番

1羊はねむれり 草のとこに
 さえ行く冬の夜 霜も見えつ
 はゆかにひびくは 風か水か
 否とよ みつかい 歌うみうた

2真昼におとらぬ くしきひかり
 み空のかなたに てりかがやく
 救いをもたらす 神のみ子の
 うまれしよろこび 告ぐる星か 

3あめにはみさかえ 神にあれや
 つちにはおだやか 人にあれと
 むかしのしらべを 今にかえし
 うたえや友らよ こえもたかく 



T、

1、クリスマス礼拝
  月日 12月25日(日) 10:30〜12:00
  説教 内田彰


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2、クリスマス祝会

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    受胎告知       シモーヌ・マルティーニ (1284〜1344)

日 時 2016年12月23日(金) 13;30-15:00 
場 所 前橋上泉町教会(前橋市上泉町818)
内 容 さんびと証し(小林のぞみ) きよしこの夜他7曲

みなさまのお越しを心からお待ちしております


U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:00〜20:00

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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

みなさまのお来しを、お待ちしております。


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2016年11月01日

11月のお知らせ

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   まっ赤な秋


真っ赤な秋   薩摩忠作詞・小林秀雄作曲

まっかだな まっかだな
つたの 葉っぱが まっかだな
もみじの 葉っぱも まっかだな
沈む 夕日に てらされて
まっかなほっぺたの 君と僕
まっかな 秋に かこまれて いる


まっかだな まっかだな
からすうりって まっかだな
とんぼのせなかも まっかだな
夕やけ雲を ゆびさして
まっかなほっぺたの 君と僕
まっかな 秋に よびかけて いる



今月の聖書

主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。     哀歌3:25〜29


T、ふとしたことで石川正一君を知りました (5)

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在りし日の石川正一君

 昭和30年11月13日=東京生まれ。幼稚園のころ、筋ジストロフィーの宣言を受け、10才の夏に歩行不可能となる。14才の初夏、父親から「20才までしか生きられない」事実を知らされ、残された青春の日々に、みずから完全燃焼をさせて生き抜こうと決意する。その後、身体の衰えに比し、精神の成長いちじるしく、奇跡的にも、20才の壁を超すが、昭和54年6月=23才7か月で、ついに神に召された。(「めぐりあうべきたれかのために」より)
 
 
1、罪の赦しの体験!(母のメモ)

(1)罪に苦しむ!

・完全燃焼をしようとすればするほど、できなくなる自分の弱さ、イライラした気持ちを人にぶっけてしまいながら、つい態度に出してしまう、どうにもならない赦しがたい自分の心。胸をたたき、机をたたき、いかに祈ってもどうにもならない自分とのとの闘いはあの歩けなくなった時の、「チクショウ、生まれて来なければよかったんだ。」と叫んだ苦しみにもまさる程に思われます。

・けれども何という、素晴らしい悩みでしょう。私たち夫婦は自分自身が入信したころの若い時と比較してみるときに、あまりにも正しいコースで悩み、苦しみ、人間的な成長を急速にたどりつつある17才のわが子に、思わず拍手をおくり、神さまの鮮やかな御業を示される思いがしたことを覚えています。

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(2)筋ジスに召されたのだ!

・彼の信仰の理解によれば、自分の意志で生まれず、望んで筋ジスになったのではない自分とは、存在させられた存在であること。従って自分が生きる価値や値打ちは、自分や人が決めるのではなく、自分を存在させた神さまがなさる問題であるということ。

・だから、完全燃焼しきれない自分の存在にも、生きる資格があるとするならば、そんな自分を承知で許し、生きる役割を与えてくださる、神様の公認の存在だからであること。生きる喜びとは、そのような神さまの愛を知ることにあること!

・従って生きるとは、すなわち信仰生活とは、神様から与えられた役割を祈り求め、たとえ不完全であっても完全燃焼を目指すことであること!

・以上が、彼がたどり着いた信仰の理解であるということができます。             (たとえぼくに明日はなくとも p232~233) 

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2、祈りこそ私の天職!

(1)佐藤陽二牧師の訪問

・こうした折も折、新宿戸山町の牛込独立キリスト教会の佐藤陽二牧師が、正一の部屋を訪れてくれました。

・佐藤牧師はこれからの正一の生き方を決定するような、重大な神さまからのメッセージともいうべき、助言を言い残して帰られたのでした。それは「お祈りを仕事にしなさい。」ということばでした。

・この佐藤牧師のことばは、天啓のように正一の胸に閃いたのでした。この一言で、祈ることしかできないとい考え方から抜け出して、人のために祈ることを天職とする、特別に神さまから選ばれた者として自己を、再発見したのでした。


    ゆきなれた路の
    なつかしく耐えられぬように
    わたしの祈りのみちをつくりたい     八木重吉



(2)祈りこそ私の天職!

・「自分が筋スジであることに、今日ほど意味があると感じたことはなかったよ。お祈りが本職にできるなんて、筋スジであればこそだものね。朝から夜まで働きづくめの健康者は、忙しい時間に追われるばかりで、聖書を読むこともままならず、お祈りも自分のことを祈るのがやっとかもしれない。だけど筋ジスの一生はなるほど短いけれど、一日のうちの自由な時間は、はるかに健康者よりも恵まれているからね。」
            (めぐり会うべき誰かのために p192)  


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(3)父母の感想

・もうここに至っては、親でありながら私は、またまたわが子の成長ぶりに目を見張らさせられ、ただうらやましく思うばかりでした。    
・祈りを仕事とし、天職と思い定めた正一のキリスト者としての人間形成の速度は速かったです。正一にとっては常に祈ることで、キリストと共に歩む生活が、ごく自然に身につくであろうし、神さまの台本が、おのずと見えて来て、信仰を持つものが誰でも理想とする、思い煩うことなく、すべてをゆだねるという生活に生き、この世にありながら神の国を知ることになるのでした。      (めぐり逢うべき誰かのために p190〜193・196)


3、進行する病!

(1)加速度的に悪化する!

18才(1973年)
・風邪をひくと肺淡困難が起こり動悸、胸部圧迫感が夜間に出現し、排尿困難などを伴うようになった。

19才(1974年)
・1974年の1月に入ると、目がかすみ、両下肢の浮腫が出現、精密検査のために、都立府中病院神経内科(現在の都立神経病院)に入院した。全身筋萎縮著明、関節拘宿、心房性急拍症が判明。同年12月から、在宅治療班の訪問援助が開始され、医師による心電図検査、理学療法士による排痰指導、医療ソーシャルワーカーによる生活改善のための、ウォーターマットレスやリップルベッドの導入が試みられた。 (良い地に落ちた種 p23~24)


スズメは チュン チュンと
可愛らしく えさをつばみ
さえずっている
いのちのいとなみが
ここにもあるのだ
生きるために精一杯なのだ
すべての生命あるものが
生き生きと 息づいているのだ      良い地に落ちた種 p25

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20才(1975年)
・正一の肉体は、今ひとつの新しい変化を迎えつつあった。一般的に筋ジスの場合に言われている、20才までのいのちという、時の壁は、彼の場合には当てはまらなかった。

・昭和50年1月早々に、目がかすむ、両下肢がむくむといった自覚症状があらわれた。

・関節拘宿、やはり筋ジスの進行に伴うさけられぬ症状で、手足が固く曲がって伸びなくなるので、入浴、着せ替え、用便、食事などが不便になり、一定の姿勢を保つことを困難にさせる。これが家族介護者の負担をより重くする大きな原因になる。

・このことから寝返りの介護を求めて、夜間に母親を起こす回数は10数回にも及ぶようになる。また、昼間は昼間で、車いすに乗っていても頭が後ろに倒れたり、前にうつ伏せになったりして、自力で姿勢を戻すことができなくなってくるので、母親は患者から、常時、目が離せなくなる。
           (めぐり会うべき誰かのために p171~172)


(2)お母さんの手記

・今日は5時間つづけてきた銀行の寮のお掃除と、お皿洗いのアルバイトが終わった日です。
・けれどもこのような生活は、体の小さな私にとっては、体力的に相当な加重労働となる日もありました。正一の体調が悪くて、夜の寝返りの介助の回数が多くなり、たびたび起こされた朝の日のアルバイトは、さすがに骨身に応えることがありました。  (めぐり会うべき誰かのために p172)

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4、新しい旅立ち

・ある日の午後、ラジオで、卒業式とはコンスメント「出発式」という意味であることを聞きました。ぼくはそのとき、まるで、電気で打たれたような感動が、体中を突っ走るのを感じました。まさに、その通りだと。あまりにもぴったりな言葉なので、感動してしまい、母と思わず顔を見合わせてしまいました。               (めぐり会うべき誰かのために p178)

・出発の彼方に、正一が見据えているものは、大学生活でも、社会人としての生活でもなかった。それは天国の門口に至るまでの、短い道程であった。

・こん短い道程の中で、残りの少ない自分の生は、何のために、誰のために備えられており、その位置づけに答えるには、どのような生を全うしたらよいのか、そして、これまで21年間の生活の中から得たものを結集し、凝縮し、それを何に注いで、自分の人生を仕上げるべきか。

・正一の出発(たびだち)とは、それを自分で判断し、しっかりと自分の手に握りしめ、自分の心の足で歩くことであった。
           (めぐり会うべき誰かのために p179)


5、祈りの生活!

(1)お父さんの手記

・さて、信仰の問題について、息子にお説教されてうれしがる父親もないものだが、証しとお祈り分担をたしなめられながら、さらに一段と成長した正一の信仰に、私は同時にある種の畏敬の念を感じていた。

・むしろ、彼の信仰は、すでに私を追い越して、その前を歩みはじめているのを見ていたが、私は自分の前を歩む息子の後ろ姿が、やがて見失うほどに小さく、前方に遠のいていくことを予感していた。

・そして、その差は、祈りというキリストとのスキンシップの実績差において、ますますその距離が開いていくものであることを、痛いほど身にしみて感じていた。

・祈りとは、いわばキリストとの人格的な交流であり、朱に交われば赤くなるの譬えのとおり、親しいもの同士似てくるように、その祈りが深ければ深いほど、キリストの影響を受け、その人格像に似るべく、キリストに近づくことを意味する。

・祈りを仕事とし、天職と思い定めた正一のキリスト者としての、人間形成の速度は速かった。正一にとっては常に祈ることで、キリストと共に歩む生活が、ごく自然に身につくであろうし、神さまの台本が、おのずと見えてきて、信仰を持つものの誰もが理想とする、思いわずらうことなくすべてを委ねるという生活に生き、この世にありながら神の国を見ることになるのだ。

・もはや、このでたらめな父親の及ぶところではなかった。後ろ姿を見せつつ、急速に私の視界から遠のいていく正一が、やがて天国の階段をのぼり始めるそのころには、この私は、自分の残る生涯のすべてを費やしても、なお近づけぬ距離の遠さを思い知らされるに違いないと思われた。
          (めぐり会うべき誰かのために p196) 

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6、新しい歩み!

主にゆだねて生きる!
  

寝て過ごすわたしは何をしよう
テレビを見ても
心を満たすものはなく
ラジオのスイッチを入れても
心をふとらせるものはない
ああ、わたしは心を豊かにしたい
たまらくその事を思う

無駄に生きることはできず
天に召されるその時まで
精一杯に生きたいのだ
いよいよ信仰を
たかめなければと思う


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今日も腰の疲れる一日だった
車いすの生活も
あとわずかかもしれない
歩けなくなったあのころも
主は支えてくださった
それから後の生活も
すでに主は支えられていた


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腕が仕えなくなろうとも
指が動かせなくなろうとも
これから後の生活も
主が備えたもうことを信じよう
わたしはまだ詩を作り
証しをする生きかいがある
頭脳に筋萎縮はないのだから


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不幸であるあるはずの
重荷でさえも
わたしの心は春のよう
こぼれるほどの恵みを受けて
神の台本がつづく限り
わたしは生きる         たとえぼくに明日はなくとも p212

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石川正一君、ありがとう! 正一君に励まされ,、祈りに導かれます。



U、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:00〜20:00

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みなさまのお越しを心からお待ちしております


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

みなさまのお来しを、お待ちしております。


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2016年10月01日

10月のお知らせ

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石川正一君について記しています



今月の聖書

主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。     哀歌3:25〜29


T、ふとしたことで石川正一君を知りました (4)

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在りし日の石川正一君

 昭和30年11月13日=東京生まれ。幼稚園のころ、筋ジストロフィーの宣言を受け、10才の夏に歩行不可能となる。14才の初夏、父親から「20才までしか生きられない」事実を知らされ、残された青春の日々に、みずから完全燃焼をさせて生き抜こうと決意する。その後、身体の衰えに比し、精神の成長いちじるしく、奇跡的にも、20才の壁を超すが、昭和54年6月=23才7か月で、ついに神に召された。(「めぐりあうべきたれかのために」より)
 
 
父、石川左門のおもい(父の日説教)

正一君の回想

・お母さんがぼくを生んだのは23歳の時だった。オヤジ(註―父親のことを、親愛を込めてオヤジと呼ぶ)に言わせると、そのときは厳粛な気持ちだったんだって。男の子が生まれたというので、おじいちゃんやおばあちゃん、家族全員が大変に喜んだんだって。だけど気の毒な話だよ。そのときまさか誰も、筋ジストロフィーの子どもが生まれたとは思っていないんだから。でも、ぼくのオヤジもお母さんも、クリスチャンだったから、やはり筋ジスだということが判っていたとしても、ぼくを生んだだろうね。 (たとえぼくに明日はなくとも p16)
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(1)父について

・終戦直後で、世の中がまったく混乱していたときらしい。オヤジは早稲田大学の学生で、そしてクリスチャンでもあったわけだ。馬喰町の交差点の路上で、街頭伝道をやっているオヤジの変なカッコウを、― 何しろ古びた学生服に下駄履きだったらしいからね― すぐ近くの自分の家の二階から、見下ろしていたのが、つまりぼくのお母さんだよ。

・そのうちに、街頭でがなり立てているオヤジの説教が良かったのかどうかわからないけど、近所の娘さんといっしょに、お母さんも教会へ行くようになった。別にこのときはまだ、左門さんが好きになったとかはなかったらしいけどね。 (たとえぼくに明日はなくとも p16~17)


(2)就職、結婚

・オヤジとお母さんが結婚するきっかけとなったのはそのころ学生のくせに、事業の好きだったオヤジが、自分で作って経営していた製綿工場の倒産だから、人生はおもしろいものだと思うよ。会社の倒産であふれた工場の運転手を、運送会社の娘さん、つまり、ぼくのお母さんに、「お宅のお父さんの会社で使ってもらえないか」って頼んだのが、きっかけなんだって。

・すると彼女のお父さん、つまりぼくのおじいちゃんは、「ついでにあなたもウチの会社で働いてくれませんか」って言ったんだね。「やっぱり、お父さんとは、そのときもう結婚するように運命が決まっていたのね」とお母さんが、いつか言ったことがあるけど、やはりぼくもそう思うよ。( たとえぼくに明日はなくとも p17)

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正一君の筋ジスを知った時(父)


・病的な症状が、はっきり現れ始めたのは、そのころ住んでいた。蔵前の浅草橋幼稚園に入園した5才のころであった。

・そして、東大病院へ駆け込んだとき、やっと自分の息子が、《筋ジストロフィー》という、まるで聞いたこともない、病気におかされていることを知ったのだ。(たとえぼくに明日はなくとも p19)


(1)島田療育園で

・いろいろな症状の説明を聞いているうちにふと、高橋先生が一人の可愛らしい4、5才ぐらいの男の子を指さしながら、「この子は進行性筋ジストロフィーです」といわれた声に、思わず私はハッとしたのでした。それは思いがけず、わが子正一の病名とまったく同じだったのです。

・先生の話をそこまで聞いたとき、同行した“やすらぎ会”の人々の中で、無心の表情で立っていたわが子正一のそばへ、私は自然と身を寄せていました。そして、子どもの耳をふさいでしまいたくなるような、衝動をじっとこらえていたのです。

・「現代の医学の段階では、治療法がいろいろ試みられてはいるものの、これといって決定的な、効果の期待できるものは皆無です。そして、20才ぐらいまでには死亡してしまいます。」先生の言葉をそこまで耳にすると、もう親子共々立ちすくむ思いでした。(たとえぼくに明日はなくとも p31〜32)

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(2)夫婦で共に泣き明かす!

・タッチやアンヨの遅れに、チラとかすめる不安を横目に見ながら、大器晩成型だと自分に言い聞かせた愚かな気休めが、無惨に破れたあの病名の宣告の時。涙を抑えながら歩みの遅いわが子の手を引き、不治の烙印を押されて病院の門を出たあの日。

・親よりも後に生まれながら、親よりも先に世を去る定めにある子どもの寝顔を見ながら、夫婦して思い切って泣きあったのでした。(たとえぼくに明日はなくとも p214)


・決定的な治療薬がないと知りつつも、医師が進める新薬は借金してでもこころみ、効果が期待できぬもどかしさに、伝え聞くあらゆる民間療法をためし、全財産を注ぎ込むのもこの頃でした。

・「チクショウ!何だってぼくは生まれてきたんだ!」歩けなくなった自分の足をたたいて、絶叫したあのときの子どもの姿はあまりにも強くまぶたに焼き着けられ、消すことのできない記憶となって、本当に昨日のことのように、わたしたちの脳裏に深く刻み込まれています。(たとえぼくに明日はなくとも p216)

・過ぎゆく日々を、じっと子どもを見つめながら、子どもに注ぐ親としての愛情をかみしめながら、それを深く味わおうとする気持ちが、自然わたしたちを信仰へ向かわせるのでしょうか。こんなにも子どもへの愛が深かったのかと、改めて思い知らされるのでした。

・やはり、人の子の親として、時には子どもを抱きしめ、思い切り泣いてみたい衝動にかられることもあります。もしも自分のいのちを子どもに分けてやれるものならと、できもしないことを本気で思い詰めたりもしました。 (たとえぼくに明日はなくとも p34)
  
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(3)筋ジスを告げる!


・さて、筋ジスの病気や、いのちについての質問を正一から受けた場合、親としての態度をどう取るべきかという問題については、いずれはその時が来るものと考えて、あれこれ心の準備はしていた。しかし、実際その場面に直面した時にはやはり相当に動揺した。                  

・昭和44年の初夏のことだった。風呂場の中で始まった私と正一との会話を、妻は浴室のガラス戸の外側から耳にした時には、膝が震え、脇の下からは冷や汗が流れ、心臓が破れるほどに早鐘を打ち、息が止まりそうだったという。   

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・その場に臨んでの適当なあしらいや、ごまかしは見ぬかれてしまう。そして子どもは自分の気持ちを正面から受け止めてくれなかった親の姿勢に、失望するのだ。それは、やっぱり親は僕の心から目をそらし逃げてしまったと思いこみ、真実を語り合う人間関係は絶たれ、孤独に追いやられてしまうのだ。筋ジス症児に、無口で、内向的で、うつ状態にあるケースが多いのは、このような背景があるからのように思える。

・正一が風呂場で、「ねえ、お父さん。これから聞くことは好奇心で聞くのでも、お父さんを困らせるために冗談で聞くのでもないよ。それを知ることが、これからぼくが生きていくために、とっても大切なことだと思うから教えてね。」と切り出した時、私は即座に決心した。「治療なし。20才までのいのち」と告げた後、重苦しく、暗い沈黙が続いたと感じたのは私だけの錯覚だったのか・・・・

・私はその沈黙を打ち消すように、「でもね、正ちゃん。どれだけ長く生きたかじゃなく、どんな生き方をしたかが大切なんだよ。」と話しかけた。応答は、意外に明るかった。「やっぱりそうか。案外短いんだね。そうすると明日から、どう生きるかが問題だね。」とつぶやくと、正一は一人もの思いの世界にもどっていった。  めぐり逢うべき誰かのために p41〜42)


わが子に生き方を示したい!

・親の生き方が問われると言うことは、信仰の話を、ただ聞かせればそれですむと言った問題ではない。筋ジスという宿命を担って生きる正一が、何か生きる力を学び取るような生き方を、父親自身が、自分の生き方として示すことであった。

・正一が立ち向かう人生の山道は険しく、荒野を吹きすさぶ風は厳しい。それを生き抜く力は、他人から借りてきたり、他から用立てたりできるものではなく、正一自身の生命力や人生観の中から、自分で汲み出してくるより以外なかった。

・生きる力が信仰から生まれるとするならば、それを正一は自分のものにしなければならない。その時に、親として正一にしてやれるものがあるとすれば、それは、信仰に立って生きる私自身の姿を、正一に見せることであった。

・正一が不安から立ち直って以来、次に来る問題として、私の胸の中では、そのことが常に問い続けられていた。これが、事業から福祉へ転身を決断させた第一の要因である。(めぐり逢うべき誰かのために p31〜32)

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(1)福祉に身を投じたい!(妻の思い)

・初心の信仰に立ち戻りたいという主人の強烈な回帰願望、もうこの思いにとらわれたら、何がおきても、誰もそれを止めることができなくなるのです。

・それは、具体的には、私の実家の父の会社、南送運輸株式会社の副社長を辞任し、正一の病気の患者団体である、東京進行性筋萎縮症協会(略称=東筋協)の専従者として、福祉活動に専念すると言うことでありました。(めぐり逢うべき誰かのために p25)
 
・主人が私に、会社を辞めて福祉運動に専念したいと打ち明けたのは、いつものように、夫婦二人の時間になれたときのことでした。予期していたものの、打ち明けられてみると、さすがに私はとまどってしまいました。

・素直に信じ従う。そしてすべてを全面的に神さまに委ねること。これが信仰を持つものの、態度でなければならないはずなのに、それは理想にしか過ぎない。現実は、迷いと、疑いと、ためらいと、不安の連続なのだ。  

・だから信仰を持ってしまった因果で、この理想と現実、神のみむねと自らのエゴイズムとの相剋に、悩み戦いつつ、従うのが、信仰生活だと言うことになる。そこで、従えと示された道が、もし厳しくても、何とか自分の力で、見通しが立てばよいが、まったく見当もつかない場合には問題は深刻なのだ。 (めぐり逢うべき誰かのために p29)

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(2)昭和42年5月、福祉の道へ。

・それはまさに、180度の転換であり、明日の生活の保障のないことを知りながら、しかも、中年を過ぎてからその道を選ぶと言うことは、一大冒険であった。     (めぐり逢うべき誰かのために p30)

・すべてを投げうち、わが子と同じ病にある子どもらのために、まったく明日の生活の保障のないことを承知で、福祉運動に専念し、ただ、信じ委ねて生きる、父の姿を正一に示すには、むしろ、絶好の機会なのかもしれない。

・もしも、この門題から逃げたとすれば、私は正一と神さまに対して、逃げ出したという精神的な負い目を、一生、心の十字架として背負い、自分を責めつづけて生きなければならない。

・それは保障なき生活の不安よりも、遙かに耐えがたい苦しみの生活であるに違いないと思われた。私はがっちりと神さまに捕らえられてしまったのだ。(めぐり逢うべき誰かのために p34)


(3)雄二(弟)

・父の福祉運動は、人助けや社会奉仕と言うよりも、神から託された使命を果たすという意識が、強く働いているように見えます。

・信仰とは、観念でも、単なる認識でもなく、信ずる者を実際に守り、人を生かす力となって、具体的に作用する神のわざであると、父と母は信じているようですが、少なくても両親を見る限りでは、それが事実のように思えます。

・父が会社を退職した後、不安定なはずのわが家の経済生活が、不思議と今日まで支えられてきたのも、神の奇跡のような気がしますし、兄が生きていることそのものがそのように思いす。(めぐり逢うべき誰かのために p184)

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(4)正一

・「ぼくはね、こんな体の筋ジスの人生にも、社会的に生きる価値があるかどうかわからないけど、とにかく精一杯生きておかないと、死ぬときに悔いを残すと思うから、いのちを完全燃焼させて生きたいと頑張っているわけ。

・社会的にわからなくても、そう言う生き方は、少なくてもぼくにとっては、人間的には価値があるんだと考えるの。だから、そう言う人間として、一生懸命生きていこうとする人と出会うと、尊敬できて、共鳴できて、深い心のつきあいができてくると思うよ。(めぐり逢うべき誰かのために p56)



(5)恵美子(母)

・ところが、心の上昇線をたどる正一とは逆に、主人の心は、正一に対してはまとわりつくような、、盲目的な愛情に溺れていくようでした。

・夜、遅くまで正一のベッドの上に上がり込んで、後ろから正一の背中や、腰や足の指圧や、マッサージをしながら、「もうこの子の体に触れる時間は、そう長くは残されてはいない」という思いがこみ上げてくるのでしょう。

・「正ちゃんよ。何も急いで天国に行くことはないんだからね。まだ子離れのできていないお父さんをおいて行くなんて、正ちゃんにはできないはずだよな。コラッ、まだ行かないって、言ってくれ!」

・「こんないい子を天国に行かせるのは、もったいないよ。お父さんは絶対に行かせないぞ!」涙をこらえきれずにいた主人は、そう叫ぶと、いきなり部屋の外に出て行ってしまいました。  


 父はわたしのことを思うと
  すぐ涙ぐむ
  わたしのことが心配で
  仕事が終わればそそくさと
  あわただしく帰る
  父よ 強くあれと思う (めぐり逢うべき誰かのために p250〜251)
                       
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息子を失った悲しみ!

・病室にかけつけた私を出迎えたのは、妻の引きつった顔だった。私は正一の手を握りしめ、彼の体を揺さぶるようにして、「正ちゃん、お父さんだよ!」と呼びかけた。

・時に、昭和54年6月18日、午前7時00分。わが子石川正一は23才7ヶ月の生涯を閉じた。
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・ああ、いつかは来るものとは知りながら、恐れていたことが、ついに現実になってしまった。その瞬間、私の心はあまりの衝撃に、画面の消えたスクリーンのように空白となり、悲しむことも忘れたかのように、しばし自失の時が流れた。

・しばらくして、正一と共に生きてきた数々の思い出が、涙とともにまぶたの奥によみがえり、悲歎の激情が本流のように、私の胸の中を荒れ狂った。

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・ついに子離れできなかったこの父を、地上に残したまま正一は、とうとう逝ってしまった。時満ちて天に召された正一の遺体におおいかぶさるようにして、私はただ抱きしめ、涙するばかりであった。30年にわたって培ってきたはずの私の信仰は、あまりにも弱く脆かった。(めぐり逢うべき誰かのために p250〜251)

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聖書に記された父!

(1)ダビデ

「すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」            サムエル18:33


(2)放蕩息子の父

「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き口づけした。」         ルカ15:20

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聖書の神

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」    ヨハネ3:16

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2016年09月01日

9月のお知らせ

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良い地に落ちた種(石川正一詩集) 日本基督教団やすらぎ会




今月の聖書

 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」    マタイ13:18〜23




1、ふとしたことで石川正一君を知りました (3)

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在りし日の石川正一君

 昭和30年11月13日=東京生まれ。幼稚園のころ、筋ジストロフィーの宣言を受け、10才の夏に歩行不可能となる。14才の初夏、父親から「20才までしか生きられない」事実を知らされ、残された青春の日々に、みずから完全燃焼をさせて生き抜こうと決意する。その後、身体の衰えに比し、精神の成長いちじるしく、奇跡的にも、20才の壁を超すが、昭和54年6月=23才7か月で、ついに神に召された。(「めぐりあうべきたれかのために」より)
 
 
筋ジストロフィーという病

 栄養がいきわたらないために起きる一種の奇病。足から次第にやせ衰えてゆき、やがて全身の筋肉が萎し、身動きできなくなってしまう。進行が深まると、歩くことが不可能になり、手をあげることさえできず、車いすに乗るか、寝たきりの生活になってしまう。ほとんどの患者が、15才から20才までの間に死を迎える、死に至る病である。  (たとえ僕に明日はなくてもp11)



(1)筋ジスになった意味がわかってきた!

・ある日の夕食後の家族懇談会のひと時、正一は「ぼくね、やっとこの頃、自分が筋ジスであることの意味が、少しわかってきたような気がするよ。何しろぼくは、筋ジスにならなかったら、とても信仰なんか持てる人間じゃなかったものね。」と言いました。 (めぐり逢うべき誰かのために p118)


(2)ぼくは、筋ジスに召されたんだ!

・こうして自分のことを、ずーと振り返ってみても、だいいち自分は、自分の意志でこの世に生まれてきたわけではないでしょう。それに生まれたまではよかったけれど、それが筋ジスという不治の病を背負った子どもだったんだからね。そのことについてぼくは、ずいぶんと悩んだこともあったけど、それは神さまが、人間に与えてくださった一つの摂理によって、ぼくは生まれてきたんだし、病気を背負っていることも、神さまのおぼしめしによって、そうなっているのだと思うようになったんだ。  

・人間というのは、神さまのおぼし召しによって、この世に生かされている存在なわけだよ。ぼくの場合は、そのうえ筋ジスというハンディを背負いながら存在させられているわけ。つまり、神さまはぼくに「そう言う状態で、自分の人生を十分に生き抜きなさい」って、生きるべき根拠を託されたわけなんだ。

・筋ジスという病気は、ぼくにとっては本当に重荷だけれど、それは神さまが何かの意味があって、ぼくに与えてくださったのだから、恵みともいえるんだ。それは、自分を高めてくれる、神の愛なんだよ、きっと。

・ぼくは毎日聖書を読んでいるうちに、神さまが「生きる意味を見いだしなさい」「自分のできることに完全燃焼しなさい」と、教えてくれているような気がしてきたんだ。 (たとえぼくに明日はなくとも p191~196)
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(3)17才、 完全燃焼と自己矛盾の現実!

・さて、一日終わって床に入りましょうかと、ふと正一の顔をのぞきますと、閉じている目じりから、一筋の涙がながれていたのです。私ははっとして胸が突かれる思いがして、少し強くたしなめた昼間の出来事がすぐ思い出されました。 

・「正ちゃん、どうしたの?」と声をかけると、顔を伏せるようにして、首を横に振ります。「お母さんが昼間キツイ言い方をしたからなんでしょ? あれはお母さんが悪かったわ。ごめんなさいね。」というと、今度ははっきりと、「ちがうよ」と返事をしました。

・そして私を促して、自分の上半身をベッドの上に起こしてもらいながら、私に涙をふいてくれとたのむのでした。

・自分の顔をかくそうにも、筋ジスの正一には自分でそれができません。流れた涙もぬぐえず、母にたのまなければならない正一。昼間の自分の一言が、正一に筋ジスであることの悔し涙を流させ、心に深い傷を負わせたのではないかと言う思いにかられ、私もまた涙ぐみ、もう一度正一にわびながら、彼の涙を拭いてやりました。

・ところが正一はきっぱりと強い口調で、「そうじゃない。お母さんのせいじゃなくて、これはぼく自身の心の中の問題なんだよ。」というのです。そして正一は私に、少し話してもいいかと断りながら、話し出すのでした。(母) (めぐり逢うべき誰かのために p76)

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(4) 罪の発見!

・「昼間の出来事にしても、一日中を休む暇なく動き回っている忙しさを知りながら、自分はお母さんを手足のようにつかって、当然のようにものを言いつけて平気でいる。しかも、呼んでもすぐに来てくれないからといって、すぐにいらついて催促したりする心、そんな情けない自分の心がたまらなく醜く思えて、“何が完全燃焼だ!”と自分を罵らずにはいられない。

・たとえ短い命でも、完全燃焼の人生を目指し、自分に納得のいく人生を送ってこそ、人間としての生きる意味も、価値もあるはずなのに、こんな心でいて完全燃焼をしていると言えるだろうか。ぼくの考えた完全燃焼とは、何かをするという行為に、精一杯自分のエネルギーを投入することだけではなく、自分の心をコントロールすることにおいても、完全でありたいと思っていた。お母さんの苦労に対しては、常に感謝の気持ちでいたいと願いながら、それにもかかわらず些細なことで、そんな気持ちがいとも簡単に、吹き飛んでしまう自分の心のどうしようもなさ。

・それが正一の悔し涙の原因でした。そして彼は自分の心の中の葛藤に一つ一つの歴史をあげては、母の私に話すのでした。長い間のたまりにたまっていたものを、はき出さずにいられぬ気持ちに追いつめられた数々の告白が、延々と続きました。

・それは心理的にはまったく普通児と同様に成長するのに反し、筋ジスという病気の中に身動きもできずに閉じこめられ、若者らしく思い切り運動で体力を消耗し、エネルギーを発散させる道を閉ざされていることでした。

・それははなはだ残酷な状況だと言えます。そうした中で正一は、自分の理性の枠を跳び越えて、暴れ出そうとする衝撃的なものと、必死に戦いつづけていたのでした。なまじキリスト教という環境の中で育っただけに、完全燃焼しようと意識すればするほど、それは厳しい罪意識となって跳ね返ってきたのでした。

・ことに正一が深刻に悩み抜いたのは、女子のボランティアの存在でした。純粋な気持ちで来てくれる人に対して、恋愛感情があるわけでもないのに、ただ男としてだけの感情を抱いてしまう自分を、正一は絶対許せないと絶叫します。

・そう言う心の中を知られたら、きっと激怒されるに違いない。そんなことになるのは死んでもいやだという不安と、相手の人格を冒涜するような思いを持ってしまう自分に、完全燃焼を口にする資格があるのかと、自分への罵りと。

・それにしても、私に告白するこの子の目は、何と深く沈んだ、切ないほどに暗く悲しい色をしているのでしょうか。その目からは泉のように絶え間なく涙が溢れ出ては、大きな粒となってほほを伝い落ちるのでした。    (めぐり逢うべき誰かのために p76~78)

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(5) 十字架による罪の赦し!

・昭和47年6月、青年期のとば口にある正一の告白は、私にとってはまた新たな衝撃であった。例によってたどたどしい口調の、時間のかかる話し方だったが、こんなにも素直な目で自分を見つめ、純粋に悩む魂の告白を、今まで私は耳にしたことがなかった。

・しかし、それを息子の口から聞こうとは夢にも思わなかった。17才のころの自分には、まだこうした精神生活はなかった。そして求道中であった20才のころの自分には、はたして正一のような純度で、自分の苦悩に取り組む姿勢があっただろうか。

・「正ちゃんは、自分で自分が許せないといったけど、じゃ、お父さんやお母さんが許してあげるよといったら、自分を許せる?」「だめだよ。ぼく自身の心の中の問題だからね。」

・「それじゃあ、この社会の人たちが、正一さん、そんなに自分を責めないで下さい。誰もあなたの矛盾をとがめる人はいませんから。どうぞ、ご安心下さいといわれたら?」

・「やっぱりだめだね。短い命を完全燃焼させることだけが、納得して自分の死を受け入れさせる、人間としての価値になるわけだから、社会だって関係ないよ。」

・「ああそうか。家族や社会が許すと言ってもだめだし、自分でも自分を許せない。かといって許しを必要としなくなるような、完全な人間になることもできないこと、こういうわけだね。」黙ってうなずく正一の目には大粒の涙が光っていた。

・「今の正ちゃんのような、どうもがいても、どうにもならない存在に人間をさせているもの、それをキリスト教の人たちは、一般に原罪と呼んでいるんだよ。」 

・こうした、原罪を直視するにいたった、自己追求の極限の状況の中で、許しを求めつつも、家族や社会の許しでは納得できずにいる正一の中に、残された救いの道が他にあるとすれば、それは正一を存在させ、生かしている創造者から、「お前を許す」という、声をかけてもらうよりほかにないことになる。 

・正一を救い得る神とは、人間が考えた神ではなく、正一を存在させ、生かし、しかも具体的に人間側からではなく、あちら側から救いをもたらす神でなければならない。

・正一の完全燃焼の人生哲学は、この時以来、「主イエス・キリストにあって、完全燃焼を目指す」信仰に置き換えられた。私はここに、キリスト者・石川正一の誕生を見た。(父)
       (めぐり逢うべき誰かのために p82~86)

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(6)神の台本が続く限り私は生きる!

     色あせた時間は
    時の中に埋めてしまおう
    12月は年の終着駅
    新春という名の列車は動きだした
    わたしの人生列車は常に登りだ
    神の都に向かって走りつづける

    わたしの体の自由が失われても
    神さまの台本にしたがい
    地上という名の舞台で
    雄々しく生きてゆく
    それを演じるのがわたしの役目     
     (めぐり逢うべき誰かのために p228)


    不幸であるあるはずの
    重荷でさえも
     わたしの心は春のよう
     こぼれるほどの恵みを受けて
     神の台本がつづく限り
     わたしは生きる    
   (たとえぼくに明日はなくとも p212)


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あすをまもられるイエス様

あすはどんな日か わたしは知らない
晴れかあらしか くもりになるか
わたしはあすを しんぱいしない
イエスがわたしを まもられるから

〈おりかえし〉
あすはわたしには わからないけど
あすをまもられる イエスがおられる


日々のあゆみは 日々にあかるく 
かたのおもには しだいにかるい
かがやく太陽 なみだかわかし
あおぐ空には 虹のかけはし


あすはどんな日か わたしは知らない
どんなみちすじが あすにあるかも
だけどわたしは しんぱいしない
イエスがおられる わたしのそばに

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石川正一君、ありがとう! 正一君に励まされ,、祈りに導かれます。



2、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:00〜20:00


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

みなさまのお来しを、お待ちしております。


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2016年08月01日

8月のお知らせ

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めぐり逢うべき誰かのために 石川正一・左門著  立風書房


今月の聖書

 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。   ロマ5:3〜5

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ほたるぶくろ



讃美歌312番


いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを とり去りたもう
心のなげきを つつまずのべて
などかは下さぬ 負える重荷を


いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りてあわれむ
悩みかなしみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたまわん


いつくしみ深き 友なるイエスは
かわらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを 棄て去るときも
祈りにこたえて いたわりたまわん

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1、ふとしたことで石川正一君を知りました (2)



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在りし日の石川正一君

 昭和30年11月13日=東京生まれ。幼稚園のころ、筋ジストロフィーの宣言を受け、10才の夏に歩行不可能となる。14才の初夏、父親から「20才までしか生きられない」事実を知らされ、残された青春の日々に、みずから完全燃焼をさせて生き抜こうと決意する。その後、身体の衰えに比し、精神の成長いちじるしく、奇跡的にも、20才の壁を超すが、昭和54年6月=23才7か月で、ついに神に召された。(「めぐりあうべきたれかのために」より)
 
 
筋ジストロフィーという病

 栄養がいきわたらないために起きる一種の奇病。足から次第にやせ衰えてゆき、やがて全身の筋肉が萎し、身動きできなくなってしまう。進行が深まると、歩くことが不可能になり、手をあげることさえできず、車いすに乗るか、寝たきりの生活になってしまう。ほとんどの患者が、15才から20才までの間に死を迎える、死に至る病である。  たとえ僕に明日はなくてもp11

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(1)ぼくの病気は?、いつまで生きられるの?

・さて、筋ジスの病気や、いのちについての質問を正一から受けた場合、親としての態度をどう取るべきかという問題については、いずれはその時が来るものと考えて、あれこれ心の準備はしていた。しかし、実際その場面に直面した時にはやはり相当に動揺した。                  

・昭和44年の初夏のことだった。風呂場の中で始まった私と正一との会話を、妻は浴室のガラス戸の外側から耳にした時には、膝が震え、脇の下からは冷や汗が流れ、心臓が破れるほどに早鐘を打ち、息が止まりそうだったという。   

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・その場に臨んでの適当なあしらいや、ごまかしは見ぬかれてしまう。そして子どもは自分の気持ちを正面から受け止めてくれなかった親の姿勢に、失望するのだ。それは、やっぱり親は僕の心から目をそらし逃げてしまったと思いこみ、真実を語り合う人間関係は絶たれ、孤独に追いやられてしまうのだ。筋ジス症児に、無口で、内向的で、うつ状態にあるケースが多いのは、このような背景があるからのように思える。

・正一が風呂場で、「ねえ、お父さん。これから聞くことは好奇心で聞くのでも、お父さんを困らせるために冗談で聞くのでもないよ。それを知ることが、これからぼくが生きていくために、とっても大切なことだと思うから教えてね。」と切り出した時、私は即座に決心した。「治療なし。20才までのいのち」と告げた後、重苦しく、暗い沈黙が続いたと感じたのは私だけの錯覚だったのか・・・・

・私はその沈黙を打ち消すように、「でもね、正ちゃん。どれだけ長く生きたかじゃなく、どんな生き方をしたかが大切なんだよ。」と話しかけた。応答は、意外に明るかった。「やっぱりそうか。案外短いんだね。そうすると明日から、どう生きるかが問題だね。」とつぶやくと、正一は一人もの思いの世界にもどっていった。  めぐり逢うべき誰かのために p41〜42


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(2)生きる意味、それは何だろう?


  たとえ短いいのちでも
  生きる意味があるとすれば、
  それはなんだろう
  働けぬ体で
  一生を過ごす人生にも
  生きる意味があるとすれば
  それはなんだろう


  もしも人間の生きる価値が
  社会に役立つことで決まるなら
  ぼくたちには
 生きる価値も権利もない
  しかし どんな人間にも差別なく
  生きる資格があるのなら
  それは 何によるのだろう



・この詩は正一の14歳の時の沈黙の中から生み出されたもので、「生きる資格は何によるのだう?」という問いをもって終わっている。しかし、その後からの正一は、その問いに対する自己回答を持って、まぎれもなくさらに新たな一歩を踏み出した。

・彼らはたとえ障害を担う人生であっても、それなりに自分の人生を満たそうと必死なのだ。       めぐり逢うべき誰かのために p42〜45




・人間は誰しも生まれ、生き、そして死ぬという、大きな宿命に対する選択の自由は持ちません。生まれる意志を持たずにこの世に生を受け、望まぬ筋ジスの宿命を負わされ、死にたくない死を迎えなければならないわけですから、死とは本当に納得しがたい不条理です。

・にもかかわらず、これを受け入れなければならないとするならば、せめて生きていることが、何らかの喜びに繋がるのであれば、頷けるのですが、納得して死を死ねる根拠となる程の生の喜び、素直に死を受け入れられるような、生の喜びとは一体何なのだろうかということになります。

・その意味では、この問題は障害や疾病の有無を超えた、ひとしく人間的で、普遍的な問題なのではないでしょうか。               たとえぼくに明日はなくとも p224〜225


    何を求めて 
    生きていったらいいんだ
    教えてくれ
    誰か教えてくれ

    
   私は冬に生きるから
   春の浜辺の夢は見ない
   たえられないから
   社会に出て出世する夢は見ない
   結婚して家庭を持つ夢は見ない
   何か別な生きていく意味が要る
   新しい価値の基準が要る            

   ※西多賀別途スクールの子どもの詩。 たとえぼくに明日はなくとも p228

                   


(3)ぼくは、筋ジスに召されたんだ!


        毎日のように
      お母さんといっしょに聖書をひらいて
      ぼくは 必死でさがしている
      聖書には何もかも書いてあるから

      しかし ぼくの生命は間に合うのかな
      ほんとうに ぼくの知りたいことが
      やっと わかったとき
      ぼくの心臓がとまるのでは・・・
      けれどもそれはきっと幸せなことだ
      納得ができて死ぬのだから

      聖書の読み方を
      もっと もっと勉強しなければいけない
      わからないことばかりだけど
      聖書だけは信じたい
      あれは神によって示された偉大な言葉だ

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ノートから

・人間というのは、神さまのおぼし召しによって、この世に生かされている存在なわけだよ。ぼくの場合は、そのうえ筋ジスというハンディを背負いながら存在させられているわけ。つまり、神さまはぼくに「そう言う状態で、自分の人生を十分に生き抜きなさい」って、生きるべき根拠を託されたわけなんだ。

・筋ジスという病気は、ぼくにとっては本当に重荷だけれど、それは神さまが何かの意味があって、ぼくに与えてくださったのだから、恵みともいえるんだ。それは、自分を高めてくれる、神の愛なんだよ、きっと。

・だから、ぼくはスタート台に立って、たとえ短くても、自分の納得できる人生を、生きなければいけないわけだ。

・ぼくは毎日聖書を読んでいるうちに、神さまが「生きる意味を見いだしなさい」「自分のできることに完全燃焼しなさい」と、教えてくれているような気がしてきたんだ。

・だけど、人間は弱いよね。不完全だよね。そう言うことを考えると、人間というのは、いろんな矛盾を背負い込んで、しかも非常に不完全な、生き物なんだと思うね。



けっして人間は強くないものだ
人間て弱いものだからこそ
心のささえが必要なのだ

クリスチャンは決してあきらめではない
人間はあらゆる心配ごとを
自分の心に背負い生きている
自分の心配ごとをイエス様が
背負ってくださっているのだ

いろんなゆきすじをへて
ここまで強くなれたのは
信仰というバックボーンがあったからだ
それは決してあきらめではない     

 たとえぼくに明日はなくとも p194〜197



(4)信仰の理解!

・彼の信仰の理解によれば、自分の意志で生まれず、望んで筋ジスになったのではない。自分とは、存在させられた存在であるということ。従って自分が生きる価値や値打ちは、自分や人が決めるのではなく、自分を存在させた神さまがなさる問題であるということ。

・だから完全燃焼しきれない自分の存在にも、生きる資格があるとするならば、そんな自分を承知で許し、生きる役割を与えて下さる、神さまの公認の存在だからであること。

・生きる喜びとは、そのような神さまの愛を知る知ることにあること。

・従って、生きる(信仰生活)とは、神さまから与えられた役割を祈り求め、たとえ不完全であっても、完全燃焼を目指すことであると。 たとえぼくに明日はなくとも p232〜233


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(5)主イエスの台本に生きる!


    神の御計画はおもしろい
   私はその台本に従って歩むのだ
   幼い頃
   つなぎを着て油だらけになって
   働きたいと思った
   歩けなくなってみると
   その望みも消えはて
   くどくどと聞いては
   母を困らせた   めぐり逢うべき誰かのために p86


    ある時
   舟の舵を取るのは僕じゃないんだ
   イエス様なんだと
   だが海はおだやかではなかった
    嵐がおさまったかと思えば
   濃霧に悩まされる
   私の信仰はあまりにも幼すぎた


    たとえぼくに明日はなくても
    たとえ短い道のりを歩もうとも
    いのちは一つしかないのだ


   だから何かをしないではいられない
   一生懸命心を忙しく働かせて
    心のあかしをすること
    それは窯のはげしく燃えさかる火にも似ている
    窯の火は陶器を焼き上げるために精一杯燃えている


   不幸であるはずの
   重荷でさえも
   わたしの心は春のよう
   こぼれるほどの恵みを受けて
    神の台本がつづく限り
    わたしは生きる       たとえぼくに明日はなくとも p212
 

石川正一君、ありがとう! 正一君に励まされ,、祈りに導かれます。




2、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:30〜21:00


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 

みなさまのお来しを、お待ちしております。


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2016年07月01日

7月のお知らせ

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たとえ僕に明日はなくとも 石川正一  立風書房


今月の聖書

 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。       2コリント4:16~18

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讃美歌461番


主われを愛す 主はつよければ
われ弱くとも おそれはあらじ

〈おりかえし〉
わが主イエス わが主イエス 
わが主イエス われを愛す


わが罪のため さかえをすてて
あめより下り 十字架につけり


みくにの門を ひらきてわれを
招きたまえり いさみてのぼらん


わが君イエスよ われをきよめて
よきはたらきを なさしめたまえ


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ふとしたことで石川正一君を知りました (1)


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在りし日の石川正一君

 昭和30年11月13日=東京生まれ。幼稚園のころ、筋ジストロフィーの宣言を受け、10才の夏に歩行不可能となる。14才の初夏、父親から「20才までしか生きられない」事実を知らされ、残された青春の日々に、みずから完全燃焼をさせて生き抜こうと決意する。その後、身体の衰えに比し、精神の成長いちじるしく、奇跡的にも、20才の壁を超すが、昭和54年6月=23才7か月で、ついに神に召された。(「めぐりあうべきたれかのために」より)
 
 
筋ジストロフィーという病

 栄養がいきわたらないために起きる一種の奇病。足から次第にやせ衰えてゆき、やがて全身の筋肉が萎し、身動きできなくなってしまう。進行が深まると、歩くことが不可能になり、手をあげることさえできず、車いすに乗るか、寝たきりの生活になってしまう。ほとんどの患者が、15才から20才までの間に死を迎える、死に至る病である。  たとえ僕に明日はなくてもp11

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1、浅草橋幼稚園5才の時。

 先生におかしいといわれ、思い当たるところがあり、あちこちの病院を訪ねてまわる。東大病院で筋ジストロフィーと知らされる。

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2、歩行困難になる!

(1)8才、

 重症心身障害児施設の島田療育園に、日野台教会の「やすらぎ会」のみんなと、僕がいっしょに行ったのは8才の時だ。そのころにはぼくはもう50mも歩けなくなっていた。だから、ぼくはほとんどお父さんにおぶってもらっていた。お父さんは「おぼえてないよ」と言うけど、本当はおぼえているんだ。
 ぼくの家に死ということばが初めて登場したのは、きっとそのころじゃなかったかな。      (たとえ僕に明日はなくても p30)


(2)10才

ぼくはどうして頭が悪いんだろう
そうだ頭に注射すればいいんだ
あゝ いやだ いやだ
そうだ 
笑ってしまえばいいんだ

      〇

ものすごく足が疲れるよ
疲れ足がポローン
疲れ涙がポローン
ポローンだよ
黄色い酸っぱい涙がポローン
それほどぼくの足は疲れるんだ

    〇

ぼくは自分の足のこと考えると悲しくなる
そうだ
弱音を出したらいけないんだっけ
神さま
ぼくの心を強くして下さい
どうか悩まないようにして下さい (たとえ僕に明日はなくても p47~48)


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3、お父さん、お母さんの思い!

 いつかその日がやって来るに違いない。病気の実態を知っているので、たえずそのおののきから逃れることができなかった。務めから帰るたびに、立っているわが子を見て、「ああ、今日も無事だった」とホッと胸をなでおろす。しかし、その日がいつか来るものなら、やはり心の備えをしておかねばならない。
 だんだんおとろえてくるわが子の足。できるものなら自分の足と取り替えてやりたくなるような、何とも言えない切ない気持ち。せめて本人が明るくふるまっているので、それが救いだ。もしかしたら、母親を悲しませまいとして、無理に明るくふるまっているのかもしれない。
 とにかく、もっと正ちゃんにつくしてあげなければ。これから先子どもと共に、せい一杯明るく、車いすを押しながら歩んでいこう。           (たとえ僕に明日はなくても p48~51)



4、昭和40年夏!

(1)お母さん

 8月5日、夕方、正一を自転車に乗せ散歩。汽車を見せにみんなで行く(私、正一、雄二、タカちゃん) 家について自転車からおろしてみたところ、正一の足は立つことができなかった。おぶって家に入れる。以後、完全歩行不可能になる。(たとえ僕に明日はなくても p54)


(2)正一君

 玄関の前で、ぼくが自転車の荷台から、転げ落ちるように降りた時、みんなはもうご機嫌ではなくなったよ。汽車のことなんかも、いっぺんに忘れちゃったわけだよ。
 ターコばちゃんが、慌ててぼくのところにとんで来て、ぼくを背後から助け上げてくれた。だけどいったん立ち上がり、ターコばちゃんが手を放すと、ぼくはすぐ地べたにくずれてしまった。腰から下の力が抜けてしまったようで、どうしても立ち上がれなかった。
 「お母さん。ぼく歩けない!」


お母さん
もう一度立ってみる
ちくしょう
ちくしょう
ぼくはもう駄目なんだ
ぼくなんかどうして生まれてきたんだ
生まれてこなければよかったんだ!

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(3)お母さん              

 「チクショウ! 何だってぼくは生まれてきたんだ。ボクなんか生まれてこなければよかったんだ!」と歩けなくなった自分の足をたたいて、絶叫したあの時の子供の姿は、あまりにも強く、瞼に焼き付けられ、胸を締め付けられるような、耐えがたい思いとともに、それは生涯消すことのできない思い出となって、本当に昨日のことのような鮮明さで、私たちの脳裏に深く刻まれています。
 クリスチャンとは名ばかりで、人間的にただ弱いばかりの不信仰な私たちではありましたが、生まれてこなければよかったという、痛ましい子供の叫びを耳にしたその日から、涙の涸れ尽きるなかで、ただ一つ必死になって考え続けてきたことは、筋ジストロフィーという、不自由な体に縛り付けられたままの人生であろうとも、それでもなお生まれてきてよかったという人生観を彼が持つようになるためには、いったいどうすればよいのかという事でした。  (たとえ僕に明日はなくてもp216)

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(4)正一君

 あの時のお母さんの悲しそうな眼を、いつまでも時々思い出しちゃうよ。その顔を見たら涙が出てきそうだったよ。とうとう、やってきたのかって、そんな気持ちだった。お母さんの背中におぶってもらい、家の中に入った。そしてその日のうちに、お母さんは東京にいるお父さんへ電報を打ったわけだよ。「ショウイチトウトウアルケナクナッタ」 (たとえ僕に明日はなくても p53)



(5)お父さんからの手紙 (S48/8/10)

 さて、正一のことは、いよいよ来るものが来たという感じではあるものの、やはり涙を禁じえません。泣けるのが当たり前だ。泣くのと信仰とは別さ。ただ、クリスチャンは泣きぱっなしということではないということです。
 正一は実に幸せな子だ。短い人生であっても、みなから愛されて、いたわられながら日々を送るということは、なんという充実した、素晴らしい人生なんだろう。われわれがメソメソしたら正一を愛してくれている人たちに申し訳ないことになる。泣くときはエス様を交えた、われわれ夫婦の間だけの時だけにしよう。
 エス様は泣いてはいけないというような、野暮な話せない方ではないよ。涙のあとではきっとその涙をぬぐって下さる方だよ。
 正一よりも、もっと多くの子どもたちの不幸のことを考えたら、自分たちの重荷のことだけでくよくよしてはいられない。涙から解放されてご奉仕することは、エス様が与えてくださった道だと思います。
 やることがいっぱいあるよ。泣いている暇はないね。では、22日の帰郷を楽しみにしています。美恵子様へ  左門拝(たとえ僕に明日はなくても p55~56)


5、あんな小さなくもでも


お母さん
この鳥どうしたんだろうね
ちっとも飛ばないで
まさか ジストロフィーじゃないんだろうね
ちゃんと手があるんだから
使わなくっちゃもったいないよ
宝のもちぐされじゃあね


     〇

人間の心なんて
積み木みたいなものなんだね
ちょっとさわれば
すぐくずれてしまう
だから神さまの根を
はらしておかなければならないよね

     〇

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あんな小さなクモでも
一生懸命生きているんだもの
人間はなおさら
一生懸命生きなければいけないよ  (たとえ僕に明日はなくても p58~60)



石川正一君、ありがとう! 正一君に励まされ,、祈りに導かれます。



 
3、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:30〜21:00


イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 
どなたもお出かけ下さい


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2016年06月01日

6月のお知らせ

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手書き聖書(写本)



今月の聖書
 あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。 蜜よりも私の口に甘いのです。私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。   詩篇119:103〜105



讃美歌501番


いのちのみことば たえにくすし
みえざるみかみの むねをしめし
つかえまつる みちをおしう
 
  〈おりかえし〉
いのちのみことば たえなるかな
いのちのみことば くすしきかな
 

主イエスのみことば いとしたわし
あまねくひびきて 世のちまたに
なやむ子らを あめにまねく


うれしきおとずれ たえずきこえ
ゆるしとやわらぎ たもうかみの
ふかきめぐみ 世にあらわる


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1、5月の報告

二人の姉妹が聖書を手書き(写本)しました。

聖書を読む人はいます。でも、書き写すひとは少ないようです。二人の姉妹がていねいに聖書を書き写しました。後に続く人も現れ、うれしいです。


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M姉の手書き聖書



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ページを開くと…



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T姉の手書き聖書



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ページを開くと…

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2、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水)   19:30〜21:00


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6月の予定 
 5日(日) 礼拝 聖餐式     
12日(日) 礼拝 
18日(土) 家庭集会
19日(日) 父の日礼拝 誕生会 学習会(日本キリスト教史)
26日(日) 礼拝 証し 
28日(火) 親睦・研修旅行・三浦綾子を訪ねる旅(〜30日) 


礼拝式次第  
礼拝5分前、静かに主を待ちましょう。


前   奏
招   詞       
開式 の 辞
頌   栄  544   あまつみたみも    
十   戒
讃 美 歌  370    めさめよわがたま
信 仰 告 白        使徒信条
主 の 祈 り
聖 書 朗 読       ヨハネ15:13〜15
祈   り
説   教       「私はあなた方を友と呼びました」
讃  美 歌  312   いつくしみふかき  
讃   栄  548   ささげまつる
献金の祈り  
頌   栄  545   ちちのみかみに   
祝   祷
アーメン三唱                       


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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 
どなたもお出かけ下さい


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2016年04月01日

4月のお知らせ

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春!  


今月の聖書
 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」         ルカ10:38〜42


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マルタとマリヤ

マルタとマリヤという姉妹がいました。マルタはもてなしに心を込め、マリヤは主イエスのことばに聞き入りました。主イエスは、「マルタ、マルタ。どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。」と言いわれました。選ぶ大切さを教えられます。



いま、フロイスの日本史を読んでいます。

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フランシスコ・ザビエル

 〈本文より〉
 別の折、司祭(ザビエル)は彼(禅僧忍室)に、「あなたは青年時代と、今すでに達しているような老年期とどちらがよいと思っているか?」と質問した。彼は少し考えた後、「青年時代だ」と答えた。そしてその理由を訊ねられると、彼は、「その時代にはまだ肉体が病気その他の苦労に煩わされることがないし、したいことを妨げられずにする自由があるからだ」と答えた。それに対して司祭は反論し、「ここに一艘の船があって、港を出帆し、ぜひとも別のある港に行かねばならぬと仮想していただきたい。その船客たちは、風波や、嵐に曝されて大海原のまっただ中にいる時と、もう港が見えだし、やがて港口に入りながら、過ぎ去った海難や嵐のことをそこで回想できるようになったときと、どちらの時にいつそう嬉しい思いを抱き得るであろうか」といった。それに対して忍室は答え、「伴天連殿、私にはあなたのおっしゃったことがよく判かる。港に入ろうとしている人々にとって、港が見えるときの方が嬉しく、喜ばしいことは当然であることをよく承知している。だが、拙僧には今まで、どの港を見分けるべきか、決めてもいないし、決心したこともないので、どのように、どこへ上陸せねばならぬか判らない」といった。        フロイス 日本史6 中央公論社刊 p45〜46

みなさんには入る港が見えますか。どんな港を選んでいますか。マリヤのように確かな港を選びたいですね。(内田 彰)

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新聖歌248番

1人生の海の嵐に もまれ来しこの身も
 不思議なる神の手により 命拾いしぬ
 
 〈おりかえし〉
 いと静けき港に着き われは今安ろう 
 救い主イエスの手にある 身はいとも安し
 
2悲しみと罪の中より 救われしこの身に
 誘いの声も魂 揺すぶること得じ

3すさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに
 死を待つは誰ぞ直ちに 逃げ込め港に 
 
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1、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子

集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:30〜21:00


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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 
どなたもお出かけ下さい


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2016年02月01日

2月のお知らせ

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大峰の冬  春を待つ!

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤いはなおの じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよさきたいと 待っている

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讃美歌291番


1主にまかせよ 汝が身を
 主はよろこび たすけまさん 
 しのびて 春をまて
 雪はとけて 花は咲かん
 あらしにも やみにも
 ただまかせよ 汝が身を


2主にまかせよ 汝が身を
 主はよろこび たすけまさん 
 なやみは つよくとも
 みめぐみには 勝つを得じ
 まことなる 主の手に
 ただまかせよ 汝が身を


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今月の聖書
 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。                     1コリント10:13


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1、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


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日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:30〜21:00


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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 
どなたもお出かけ下さい


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2016年01月01日

1月のお知らせ

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上州三峰山を望む

あけましておめでとうございます。 

今月の聖書
見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。
43 21 わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。 イザヤ43章19〜21節




新聖歌 398番
1新しき地に ふみいだす
 心に備え ありや見よ

 〈おりかえし〉
 ヨシュアのごとく われも言わん
 わが家とわれは 主に仕えん

2こころみしげく ありと聞く
 恐れるこころ 無きや見よ
 
3群がる仇も 何かあらん
 先立つ君は イエスなれば
 
4取るべき所 なお多し
 心強くし かつ勇め
 
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1、前橋上泉町教会のご案内
前橋市上泉町818
牧師  内田 彰・内田光子


集会案内
日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:30〜21:00

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イエスの招き
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」マタイに11:28 
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2015年09月01日

9月のお知らせ

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今、学習会で日本キリシタン史を学んでいます。先日、川場村のキリシタンの墓を尋ねました。(川場村カルタ)


讃美歌 495番

1イエスよこの身を ゆかせたまえ
 愛のしたたる 十字架さして

 〈おりかえし〉
 われはほこらん ただ十字架を  
 あまついこいに 入るときまで

2十字架にすがる よわきわれは
 いまぞ知りぬる ふかきめぐみ

3十字架のうえに よろこびあり
 たえずみかげに おらせたまえ

4かがやく国に のぼる日まで
 十字架のもとに 立ちてぞ待たん

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今月の聖書
 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。  ヘブル11:13〜16



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東庵の娘婿半三郎の墓


その墓にはこう記されていました。
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 今から350年前、キリスト教の伝道師「東庵」が村を訪れ。村内を始め近隣の村々を布教しました。当時はキリスト教禁止令が出されていたため、人目をはばかりながらの布教でした。


350年前と言えば江戸幕府のキリシタン禁教のまっただ中です。

 1619年  京都で52名が殉教。長崎に教会はなくなる。
 1628年  踏み絵がはじまる。
 1633年  幕府第一次鎖国令を出す。
 1634年  幕府第二次鎖国令を出す。
 1633年  長崎に出島をつくる。
 1637年  島原の乱が起こる。
 1657年  大村崩れ
 1660年  豊後崩れ
 1708年  シドッチ、新井白石の尋問を受ける。
 
当時の群馬のキリシタンの状況です。
明暦年間(1658)幕府宗門奉行北条安房守により行われた宗門奉行覚書“上州の部”に「沼田、高崎、厩箸、三波川、渡瀬、鬼石、中塚原より武士を含む数名がいた。」との記事があるが、これなどはほんの氷山の一角であり、これが全てではなかったことは今日県下に残されているその墓石が立派にこれを証明している。
古キリシタンと呼ばれた初期の信徒はもちろん、その家族や絵踏等により転宗した者等を“類族”として区別された人々に対する、監視の目は非常に厳しかった。彼らは死んでもその死を幕吏が確認するまでは埋葬できなかった。すなわちその確認作業が済むまではその死体を塩漬けにして保存し、検死を待たなければ埋葬することはできなかった。それは男子ならば七代、女子ならば三代の長きにわたっていた。この、女子三代限りというのが、後にのべる天の曲線で急落する明和年間以後の変化で判ると思うが群馬県にはこの類族が沢山おった。彼らは別に生来の極悪人でもない、極めて善良な人々であった。ただ、彼らの先祖であった人たち、または彼ら自身が天地を創造された唯一の神を信じ、主をあがめ、その教えを忠実に守り、十字架を大切にし、日々の祈りを実践していただけである。
(月刊・上州路NO167―特集・上州の隠された十字架― p14)

 こんな時代、東庵は元和4年(1618年)川場に来て福音を伝えました。どうやって伝え、どんな生涯を送ったのか。キリストに生きた彼の信仰を思いつつ墓前に立つとき、熱いものがこみ上げてきました。


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キリシタン墓。 今も誰かが掃除し、花をそえてくれます。

彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。                     ヘブル11:4


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2015年08月01日

8月のお知らせ

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みんなでジャガイモ掘り             7/12


讃美歌21 434番

1主よ、みもとにちかずかん
 十字架の道ゆくとも
 わが歌こそ、わが歌こそ、  
 主よ、みもとにちかずかん

2天より届く かけはし
 われを招く みつかい
 恵みうけて 恵みうけて
 主よ、みもとにちかずかん

3あまがけゆく つばさを
 与えられる そのとき
 われら歌わん われら歌わん
 主よ、みもとにちかずかん



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今月の聖書
  けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 ピリピ3:20

 Y・H姉が召されて4ヶ月、納骨式を行いました。あらためてY・H姉の在りし日から信仰を教えられます。

 矢内原忠雄(昭和26〜32年東大総長)は「人の生涯を思えば、どのような人にも深い味わいと意味がある。偉いひとだけが人間であるのではない。人生の失敗者と見られる人の生涯についてさえ、その人間形成の後を同情を持って見れば、そこにしみじみとした人間の哀れが思われて、われわれに愛と謙遜を教えるものがある。」と言っています(人生と自然)。彼の詩です。


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   十月一日   
黄菊白菊の咲くころであった、
一九一三年の十月一日、
私をこの世に生んだ父は
はげしい呼吸困難の後、
たんがのどにつまって息絶えた。
「忠雄は心配ない」というのが
私に対する最後の言葉であった。
その秋入学したばかりの
大学はすでに始まっていた。
後れて上京した私に、
なんという空虚な教室であったか。
死の影の谷の歩みであった。
神がともにいて下さった。
ああ父よ、私を愛してくれた
父よ。父の年をすぎて私は
いつまでも父の子であります。


暦日巡り、秋きたる。
秋と共に十月一日はきたる。
気は澄みて空は高く、
花は光って地は清い。
わが心は天を慕う。
わが身もいつかは地を離れる。
わが財宝は天にある。
その財宝の数々を数えんか。
私を愛してくれた人々、
主が私の罪を赦し給うたこと。
まじりなき心で主と兄弟を愛し、
兄弟の負債をきれいに赦したこと。
流した涙、これは神の革袋に貯えられ、
天にて宝石と変わっているだろう。
私の愛する者よ、私の行くことを、
汝ら泣け、しかし喜びとせよ。(註)
それは汝らの財宝もまた、
天に貯えられるためである、永遠に。

(註)ヨハネ14:28 ピリピ2:18 1テサロニケ4:13

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水上伊賀の里  左、Y・H姉       2014/11/22


前橋上泉町教会のご案内

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日 曜 礼 拝  10:30〜11:30
祈り会(水) 19:30〜21:00

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「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげあげます。」  マタイに11:28 
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2010年05月27日

十字架紹介

すべて疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなた方を休ませて上げます。    マタイによる福音書11:28


みなさんケルト十字架をご存じですか?

  私たちの教会の十字架はケルト十字架(セルティック・クロス)です。高さ180p、幅90pです。高台のため1q先からも見え、朝夕太陽に輝きます。特に夏の午後は鏡のように輝きます。〈中略〉

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  ケルト十字架について故長久清先生(関西学院牧師)は次のように述べています。

 「イングランドの南部ルウリングストーンに四世紀頃と思われる古い家の教会が発見された。その壁に月桂冠で囲まれたキーロー(XP)が画かれている。これは勝利のキリストを象徴するものである。この勝利の月桂冠が、丸い輪になり、キーローが十字架になっていった跡を示すものとして、スコットランドの西南部、ホイットホーンで発見された五世紀頃の墓石がある。ロー(P)の上部が小さくなっており、キー(X)は少し回転されて、ローの縦の線と合致して十字架形となっている。

  これが果たしてセルティック・クロスの原型になったかどうかは断定できぬが、十字架の意味はこれによって解明できると思う。即ち、セルティッククロスにおいては、キリストの十字架と復活の栄光とが合致され、同時に終わりのない円が永遠の勝利を象徴している。十字架と復活は決して切り離なすことのできぬものであり、十字架は単に人類の救いのために苦しまれたキリストだけでなく、それにより復活された勝利者キリストを象徴するものと見ねばならない。
   
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